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在庫がPCの利益率を引き下げる
1990年代、PC業界はまさに受難の時代だった。90年から97年にかけて、PC需要は5倍に拡大したとはいえ、すでにほとんどの家庭に普及していたため、他社との差別化を図ることが何より重要だった。
この時期、最も善戦したのがヒューレット・パッカード(HP)である。同社は全機種の価格を、91年に10%、92年に26%、93年にはさらに22%も引き下げた。同時に、サイクル・タイムを短縮し、需要変動に素早く対応し、適切なタイミングに適切な場所に出荷できるように、設計や生産計画、製造工程を見直した。そして99年、PCの売上高でついにIBMを抜き、デル、コンパック(HPが同社を買収したのは2001年)に続く世界第3位のPCメーカーとなった。
こうしてHPは市場シェアにおいては見事成功を果たしたが、利益では苦戦していた。97年当時、PC事業のマージンの薄さといったら、まるでシリコン・ウエハー並みだった。93年以来、赤字続きの製品ラインをいくつも抱えていたのである。また、価格を引き下げたことで、以前はあまり重視されていなかったコストが決定的な存在として浮かび上がってきた。
どのPCメーカーも、在庫が積み上がるのを、ただ手をこまねいて見ているわけにはいかない。何しろPCはもはや短命な商品である。その寿命が終わった時には、まだ倉庫に積まれている製品や部品の在庫を償却しなければならず、このおかげで利益率はさらに低下していく。
このような負の圧力に加えて、新しい技術が次々に誕生するため、いかに新製品といえども半年もすれば陳腐化してしまう。PCの完成品の価値は、概算で1週間に1%の割合で下がるといわれるくらいだ。
HPのサプライチェーンは柔軟で、顧客が望む時に望む場所に納入できるだけの適応力を備えていた。しかし、経済的に見て、そう長く続くとは考えられなかった。問題を難しくしているのは、在庫管理の手法がサプライチェーンの進歩に追いついていないことにあると、当時の経営陣は考えていた。
その頃のHPは、何層にも重なる複雑な生産ネットワークを管理しており、そこには多くの事業体が関わっていた。にもかかわらず、当時の在庫管理手法では、サプライチェーンの担当者は自分の管轄以外の情報をチェックすることは許されていなかった。したがって、個々が決定したことが、サプライチェーン全体の経済性にどのような影響を及ぼすのかを吟味することはかなわなかった。
たとえば、製造工程に関係する2つの部門で緩衝材の在庫量を設定するといった決定によって、何がどう変わるのかを判断することはできなかった。また、ある特定のサプライヤーの近くに最終組立工場を移動させた場合、戦略にどのような影響が及ぶのか、予測することもできなかった。
持続性の高いサプライチェーンを設計するには、HP経営陣はあらゆるマネジャーたちに全社的な損益状況を知る権限を与える必要があった。