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キャリアアップと私生活の充実
我々2人は「ジョブ・シェアリング」という試みを6年にわたって経験した。フリート・バンク[注1](現バンク・オブ・アメリカ)の外国為替市場担当バイス・プレジデントという1つのポストを2人で一緒に務めたのである。
職場で与えられたのは、一組の机と椅子、コンピュータも電話もボイス・メールも1つだった。履歴書も1つだ。顧客や同僚にとって、我々は一人の人間に見える。もっとも、力とアイデアは2人分だが。
2004年、バンク・オブ・アメリカがフリート・バンクを買収し、所属部門が解散したため、我々は退職した。そこでの経験によって我々の職業観は一変した。2人ともジョブ・シェアリング以外のスタイルで働くつもりはない。ただし、ジョブ・シェアリングは一筋縄にはいかない。経営陣を説得するのも困難をきわめる。それでも我々は一度たりとも後悔したことはない。
しばらくは英気を養い、執筆や講演を通じてこの体験を伝えるつもりだが、新しい仕事を探す時は2人一緒である。次の仕事でも、一人が辞めたいと思えば、2人で辞めるだろう。
ジョブ・シェアリングは、報酬と時間を確保できるだけでなく、会社や顧客にはフルタイムで働く一人のマネジャーよりも質の高い仕事で貢献できる。我々は当分の間「2人で一人」というブランドで売り込むつもりだ。
我々は以前、バンク・ボストンの別の部門で、週50~60時間働いていた。2人とも仕事が大好きで、昇進にも昇給にも恵まれ、出世階段を上った。すすんで業績改善の一翼を担い、プロとして働くことに重要な意味を感じていた。しかし、多くのマネジャー同様、私生活を犠牲にしていた。
働き方を変えようと思ったきっかけはそれぞれに異なる。シンシアはある朝、子どもたち──当時は1歳と3歳だった──にコートを着せ、保育園へ出かけようとした矢先、休園を知らされた。その日、彼女は大事な予算会議に出席しなければならなかった。仕方なく子どもを連れて出社し、大急ぎで外出して面識のない女性に子どもを預けなければならなかった。シェリーの場合、4歳の息子を保育園へ迎えに行く途中で迷ったことがきっかけとなった。つまり、迎えに行くのが遅れても先に牛乳を買うべきか、それとも息子を迎えに行った後で店に急ぐべきかと迷った時だ。
我々は特に親しかったわけではないが、仕事を通じて面識があり、互いに会議の様子からジョブ・シェアリングができるのではないかと感じていた。当時の職場は働きやすいという評判どおり、フレックス・タイムや在宅勤務と時短勤務の組み合わせなど、制度が充実していた。