ヒト起点で使えるイノベーションの重要性

波江野 ジャニスさんがさまざまな取り組みの例を挙げてくださいましたが、高齢者ケアの未来を考える場合に欠かせないのが、「ヒト起点で使える」テクノロジーの活用です。世の中でいろいろイノベーションが起きており、デジタル・テクノロジーというキーワードが語られない日はありませんが、殊に高齢者ご自身、ご家族の方、また介護を提供される方々向けのサービスという観点では、テクノロジーが十分活用されていないように見受けられます。

 その理由はいくつかあると思いますが、まず、高齢者や介護者の視点から見た場合、どれだけ技術的に進んだものであっても、サービス利用前から利用後までの一連のユーザーエクスペリエンスが優れたテクノロジーでなければ、活用されないということです。

波江野 武
Takeshi Haeno
モニター デロイト
パートナー/執行役員
ヘルスケアストラテジー
モニター デロイトにおけるアジアパシフィックのヘルスケア領域のリード。日米欧でのヘルスケアビジネスでの経験を基に、国内外の健康・医療問題について社会課題としての解決とビジネスとしての機会構築の双方を踏まえたコンサルティングを、政府、幅広い業界の民間企業などに幅広く提供。米カリフォルニア大学バークレー校 経営学修士・公衆衛生学修士。

 たとえば、素晴らしい介護ロボットであっても、それを保管している場所まで毎回取りに行かなければならない施設では、その時点でロボット利用へのハードルが高くなってしまいます。ですから、よい機器の設計はもとより、そこにいる人の動き方や心理を「最初から最後まで」踏まえたサービス設計が必要になります。これは機器を作るメーカーだけで、できるものではありません。

 加えて、先端的なテクノロジーを実装するには非常に費用がかかる場合があります。費用対効果になかなか確信が持てなければ導入が難しいというのも実態かと思います。

チア シンガポールの状況を説明すると、テクノロジーへの関心と採用はいずれも増加しています。アーリーアダプターが採用しているテクノロジーの1つが、ロボット式の浴槽です。

 まず導入コストの問題は、政府が助成金を出すことで解消されました。ユーザーエクスペリエンスの点については、介助者へのトレーニングを提供するとともに、シンガポールの入浴習慣に合わせた製品に改良することによって解消しました。

 シンガポールでは日本のように、足を伸ばして浴槽にゆっくり浸かる習慣がありません。浴槽に入ったり出たりするのも高齢者には大きな負担です。そこで、座ったまま全身にシャワーを浴びることができるボックス型のロボットバスにしたのです。

 スイスの企業が開発した老人ホーム向けのモニタリングシステムも導入が進んでいます。高齢者に時計型のウェアラブルデバイスを着用してもらうことで、介護者はタブレット端末やデスクトップPCによって高齢者がいまどこにいるのか、ベッドから落ちたりしていないかを確認することができます。

波江野 国や地域によって異なる文化や習慣、介護に対する考え方がありますから、それぞれの市場のヒトをよく理解し、コミュニケーションを通じてテクノロジーを市場に適応させていくプロセスが非常に重要ですね。

 そのほかの重要なポイントとしては、イノベーションを受け入れ、うまく活用するための適切なトレーニングと動機づけです。適切な教育がなければテクノロジーを十分に活かすことはできません。

チア 教育・トレーニングは2つのステップで進めるのがいいと思います。まずは、高齢者をケアする介護士や看護師を教育し、次のステップとして介護士や看護師が高齢者に教えるのです。

 シンガポールでは、メーカーが介護機器やシステムを医療施設、福祉施設に持ち込み、一定期間をかけてケア提供者に使い方を習得してもらいます。その際の教育は、メーカーの技術者が行います。

 高齢者は介護士、看護師を信頼していますから、高齢者への説明や教育はそうしたケア提供者に担ってもらうのです。

波江野 高齢者ケアのためのテクノロジーやソリューションは、大きく分けて2つのタイプがあると考えています。1つは「Let Me Do」(自分でやりたいことを可能にして)の要素が強いもの、もう1つは「Do for Me」(私を手伝って)の要素が強いものです。

 高齢者が幸せに生きていくという文脈を念頭におきながら、特にグローバルでビジネスを考えるにあたっては、状況や文化・習慣などによって両方を使い分けたり、組み合わせたりすることが大事です。

チア 介護を受ける人のニーズについていうと、世代による違いもありますが、アジアでは伝統的に親や高齢者のために何かやってあげたいと考えます。そういう価値観を共有している要介護者とケア提供者の間では、「Do for Me」タイプのテクノロジーが非常にうまく機能します。

 一方で、ミレニアル世代以降の若い人たちは子どもの頃からテクノロジーを使うことに慣れていますから、彼らが高齢者になったときには「Let Me Do」タイプを好む傾向が強くなるかもしれません。

 ケア提供者の中には、テクノロジーが普及すると自分の仕事がロボットに取って代わられるのではないかと心配する人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。ロボットは人を持ち上げることはできても、心の通ったコミュニケーションはできません。ですから、何らかのヒューマンインターフェースや人による支援が常に必要なのです。