モノに「魂」を与えて、消費者にストーリーを語りかける
加藤 当社は約30年前に、モノのアイデンティティ(ID)をデジタル化していくべきではないかと考え、RFID(無線自動識別)事業を始めました。UHF帯のRFIDでは、世界で一番大きなビジネスをしている会社です。
モノにユニークなIDを与えて、そのモノが何であるかということを識別できるようになった次の世界として、それぞれのモノがいったいどんなヒストリーを持っているのか、そのヒストリーにどんな価値があるのかといったことを消費者やビジネスユーザーに伝えていくべきではないかと考え、2021年春にフィジカルな世界とデジタルな世界をつなぐデジタルプラットフォーム「atma.io」を立ち上げました。
atma.ioでは現在、約160億個以上のデジタルIDを管理していますが、「それぞれのモノは、一緒のように見えても、すべて違う」という思想の下につくられたプラットフォームです。モノが持っている価値は見えていない部分がかなりあり、見えないから実現できていない顧客体験があると私たちは考えています。
たとえば、スーパーの店頭に並んでいる牛乳は全部同じように見えますが、同じAというブランドの商品であっても、搾乳された日時は違いますし、どの牛から絞られているのかも違います。それらが情報システム上ではすべて同じ商品として管理されています。
しかし、商品一つひとつにユニークなIDを与えて管理することができれば、どこでつくられたのか、誰がつくったのか、どうやって運ばれてきたのか、どこでいつ販売されたのかといった情報をトラッキングすることができ、ある一つのモノにまつわる新しい価値としてヒストリー、ジャーニーが見えてきます。CO2排出量や原料がコンプライアンスを満たしているかといったところまで見えれば、消費者はいままでとは違う観点で商品を選ぶことができ、買い物の仕方が変わるはずです。
中林 モノに新しい価値を付加するという考え方には、非常に共感できます。我々もただモノを運んで届けるだけでなく、そこに至る来歴も含めて付加価値をつけることが重要だと思っています。

ヤマト運輸 執行役員
デジタル機能本部 デジタルデータ戦略担当
2002年日本アイ・ビー・エム入社。データサイエンティストとして数々の企業のデータ活用を支援。その後、オプトホールディング データサイエンスラボの副所長、SOMPOホールディングス チーフ・データサイエンティストを経て、2019年8月ヤマトホールディングス入社。2021年4月から現職。筑波大学客員教授としてビッグデータ分析の教鞭をとる。
たとえば、厳密な温度管理が必要とされる特殊医薬品などはトレースの記録が非常に重要です。しっかり温度管理されているか、適切なルートを通っているか、途中で梱包が開けられていないかといったことを、温度や湿度、光などのセンシングデバイスを使ってしっかりトレースできる状態で運ぶことが、新たな価値の提供につながります。
加藤 私もトレーサビリティを確立させることが新たな価値の提供につながると考えています。トレーサビリティを実現するためには、サプライチェーン上の各リードポイントで、商品をスキャンし、往来にまつわるデータを記録する必要があるため、ソリューションとしてはRFIDが候補になると思いますが、実際にRFIDを使ってトレーサビリティを実現している企業はまだほとんどありません。まずは、在庫データの正確性を高めたり、在庫を可視化したりすることのほうが優先順位が高い、ということだと思います。
たとえば、ある外食チェーンの店舗では、毎日手作業で食材を棚卸ししたうえで、在庫・販売・入荷予定データを見ながら発注をしているのですが、棚卸しがマニュアル作業なので在庫データが正確ではなく、したがって発注担当者も欠品を恐れて多めに発注を行い、廃棄ロスを減らすことができない、という問題を抱えていました。そこでRFIDを活用することで信頼できる在庫データを取得し、それに基づいた正しい意思決定の実現を目指しています。
AI活用においても同じことが言えると思いますが、どれほど高度なAIを使って需要予測の仕組みをつくったとしても、もともとのデータが間違っていたら、正しい意思決定はできないと私たちは考えています。
中林 データの品質、信頼性を担保することは、データ・ドリブン経営の出発点です。データのサイロ化を乗り越えて、リアルタイムで正確なデータセットをどう整備していくかということが、デジタルプラットフォームを構築するうえでも非常に重要です。品質を担保するには、システム環境だけでなく、それをきちんとコントロールするデータマネジメント組織の役割も大切です。
当社のデータマネジメント組織は、オリジナルのデータがどこにあって、どういうデータを集めてくると、どんな分析ができるのかを把握し、データの品質を保ちながら、一元管理しています。また、コンシェルジュ機能を持っており、データサイエンティストから「こういう分析をしたいから、こういうデータセットがほしい」とリクエストがあると、データの場所や集め方を助言します。
加藤 海外では、なぜデータの品質を担保し、一元管理しなくてはならないのか、経営トップがそのビジョンを明確に描き、社内のステークホルダーに伝えて、みずからがリードしてデータマネジメント組織を立ち上げるケースが多く見られます。
データのサイロ化を乗り越える点で難しいのが、企業をまたいだサイロ化です。たとえば、サプライチェーン上で異なるプレーヤーがそれぞれ違うデータを持っていて、それらをつなぎ合わせればサプライチェーン全体を最適化し、消費者に新たな価値が提供できるのですが、それがなかなか実現できません。
私が持っている仮説の一つは、消費者からのニーズやプレッシャーが高まることで、企業をまたぐデータのサイロ化を乗り越えられるのではないかということです。製品ライフサイクル全体でのCO2排出量を知りたい、生産者や労働者、生態系に負荷をかけないで製造・運搬された商品を選びたい、そういった消費者の声が高まってくれば、サプライチェーン上のプレーヤーがデータを共有せざるをえなくなり、企業の枠を超えた全体最適が実現されるのではないかと期待しています。
中林 おっしゃるように、ESG(環境、社会、ガバナンス)への意識の高まりがトリガーになり、サプライチェーンのエンド・トゥ・エンドで情報共有するという動きが実際に起こりつつあります。
一方で、私たちがいまデジタル庁と議論しているのは、「ベース・レジストリ」と呼ばれる社会の基盤となるデータベースの整備です。つまり、共通のデータセットを社会の共有財産として使っていこうということです。
たとえば、荷物を運ぶには地図や住所、企業名などが重要なマスター情報となりますが、表記ゆれが非常に大きいという問題があります。番地の表記が漢数字の場合もあればアラビア数字の場合もあったり、数字が全角か半角かの違いもあったりします。また、最近では法人を識別する番号として国税庁が13桁の法人番号を指定していますが、個人商店などは対象外で、すべての事業者にユニークなIDを民間企業が割り振ることは難しいです。
社会の共有財産となるデータの整備は、政府が音頭を取ってやるべき部分もあると思います。