幸福というものは、何ともとらえどころがない。霧に似て、遠くからなら見えるし、密度も形もあるのだが、近づくと四方に散らばり、手を伸ばせば届くのにつかむことができない。
私たちは躍起になって幸福を追い求めるが、少し考えてみれば、幸福の追求とは、追い付ける保証のないものを追いかけていることだとわかるだろう。
あの出来事が起こるまでの私は、ひたすら不器用に幸福を追いかけていた。当時、夫のジムと私は、2歳になる息子とお腹の赤ちゃんと一緒にカリフォルニア州サンノゼに住んでいた。はた目にはバラ色の人生だっただろう。でも、私には喜びがなかった。悲しい気持ちになる自分に、いつも罪悪感を抱いていた。私にとって、思えば恥ずかしいことだが、自分を悩ませる問題だけが世界のすべてだったのである。