
デロイト トーマツ グループの松江英夫氏は、長らく停滞してきた日本を再び成長軌道に乗せるためのキーワードとして、「多様性」と「価値循環」を掲げる。それに対して、早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄氏は、「経路依存性」が多様性や価値循環を阻害していると答える。「失われた30年」の要因分析から始まった2人の議論は、人類の歴史を俯瞰した発展の法則へと広がっていく。
「経路依存性」の罠が、失われた30年の傷口を広げた
松江 今日は入山先生と一緒に日本の成長戦略について考えていきたいと思っています。まず、平成の「失われた30年」を振り返ると、将来に対する不安が停滞を生んだのではないかと、私は考えます。
ご存じの通り、日本の生産年齢人口は1995(平成7)年、総人口は2008(平成20)年をそれぞれピークとして、その後は減少に転じました。これに連動して潜在成長率も低下し、バブル期に4%を上回っていた潜在成長率が1990年代後半には1%台に落ち込み、2000年代後半からは1%を割る低空飛行が続いています。
これは人口が減り、労働投入量が減ったことの影響よりも、人口が減少トレンドに入ったという心理的なインパクトで将来不安が大きくなり、個人の消費意欲や企業の投資意欲が低下して、需要不足が生じたことのほうが大きいと考えています。
一方で、企業は高度成長期の大量生産モデルを引きずったままなので供給過剰が常態化、それがデフレの根本要因になっている。これが失われた30年の構造です。
入山 戦争や疫病といった特殊要因を除いて、(死亡数が出生数を上回る)自然減で人口減少ペースが加速している国は、歴史上おそらく日本が初めてではないかと思いますが、いずれにしろ人口推計からも人口が減ることはわかっていました。にもかかわらず、国内市場への依存を続け、グローバル化が遅れたことが失われた30年の傷口を広げました。
グローバル化が遅れたのは、(過去の制約に縛られた)経路依存性の罠です。日本の人口は1億人を大きく上回っていて、先進国の中では米国に次ぐ人口大国です。人口が日本の半数以下の韓国は最初から海外展開に目が向いていますが、日本はそれなりに大きい国内市場に軸足を置いたままでした。バブル期までは、企業も行政もそれでいろいろな仕組みがうまく噛み合っていたから、経路依存性から抜け出せなかった。
そうこうしているうちに日本企業の存在感はどんどん薄くなって、平成初めの1989年には時価総額ランキング世界トップ10に日本企業が7社も入っていたのに、平成の終わりの2019年にはトップ10どころか上位40社にすら1社も入れないという状況になってしまいました。
松江 日本が長期停滞を抜け出して、再び成長軌道に乗るためにまず大事なのは、やはり多様性だと思います。
1980年代までの日本の成長モデルは、品質のいいものを大量生産して、安く売るモデルです。日本は国内でも海外でも「安くていいもの」という一律の戦略で戦ってきました。しかし、いまは何事も一律の時代ではなく、違いがあることが価値になる、他社との差が競争優位になる時代です。そうした時代には、多様性のある組織のほうが当然強い。
入山 その通りです。松江さんがおっしゃったように、「安くていいもの」で勝負するには、新卒一括採用で、いつも同じメンバーが同じ工場で、同じ製品をつくるのが最もミスが少なく、効率的です。多様性がないほうがむしろ強かった。でも、違いが価値を生むイノベーションの時代になると、多様性が高くないと勝負できません。
ダイバーシティを高めるのは、口で言うほど簡単ではありません。新卒一括採用で同じように給料が上がっていき、定年まで同じ会社で勤め上げるメンバーシップ型雇用では多様性のある人材を採用できませんし、一律の評価制度では多様な人材を評価することができません。うまく噛み合ってきたそれぞれの仕組みを変えなくてはならないので、簡単ではないのです。