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今年になってから、日米関係をとりまく環境は悲劇的かつ急速に悪化の一途をたどってきた。日本とアメリカの経済的利害がこれほど絡み合い、両国のグローバル・パートナーシップの必要性がこれほど明らかになったことはかつてなかった。だが悪意やレトリックが先に立って、日米相互の懸案を理性的に討議することもままならないのである。
日米関係の問題を長い目で楽観的に見ている者として、私は現在の燃え盛る緊張がやがては鎮静するものと本能的に感じている。両国いずれにも、いわゆる“バッシング”や保護主義の動きが見られるとはいえ、日米関係の混迷状態は元に戻せないものではないだろう。しかし、今日の政治的な色合いを帯びた感情は、思想とは言い難いものであることを認めざるを得ない。太平洋の両岸の財界人は取引関係の拡大を凍結させかねない、不気味な冷たい作用を感じ始めている。そのうえ、本来なら両国の政府、民間企業、一般市民が一体となってできるはずのことも、信頼の欠如と不安がしりごみさせている。
冷戦の終結は、これまでにない特別なチャレンジとチャンスの時代を招来した。だが、日米の関係に絡まるそれぞれの国の政治姿勢と疑念のために、両国の人々は、相互に助け合える独特な関係から得られるはずの利益にあずかることができないでいる。これは両国経済にとって損失であることはむろんのこと、世界にとっても損失である。例えば、東欧や旧ソビエトに誕生しつつある市場経済を育てるために共同で努力を尽くせる可能性があるにもかかわらず、日米関係の政治的な側面を支配する絶え間ない軋轢がその可能性を閉ざしている。また、基礎研究や商業化のために両国が補完し合える英知を結集して、新しい生産技術を開発し、差し迫るグローバルな課題の解決策を見いだす真剣な努力を共にしようにも、同じ理由で思うにまかせないのである。