人々は、使用者と従業員との長期雇用の約束が、すでに過去のものになってしまったことを嘆いている。我々は、IBMが終身雇用を提供できていた頃の日々を甘く思い出す。たとえ、IBMと同じようなところで働いていたのではなくても、我々のほとんどは、まともな会社であれば、十分な実績とそこそこの忠誠心を発揮すれば、それと引き替えに少なくとも一定の仕事は保証されると考えていた。もはやそうではない。少数の優良企業では、従来の約束は引き続き存続していると言っているが、ダウンサイジング、組織の簡素化、適正規模化、レイオフやリストラに慣れっこになってしまった多くの人々は、そして多くの会社では、昔の約束は反古になったと結論づけている。

 しかし、何がこれにとって代わるのか。経営を考えている何人かは、従来のように雇用に焦点を当てるのではなく、雇用適性に焦点を当てるべきだと議論している。別の言葉で言えば、一つの仕事、一つの会社、一つのキャリア・パスに必死にしがみつくことはやめにしようということである。問題は、仕事が必要なとき、また、よい仕事を見つけることができるときにはいつでも、競争力あるスキルを身に付けていることである。

 それは、会社のホールや工場や電子メールシステムの中を徘徊している、孤独を好む労働者のことをいうのだろうか。会社は従業員に対して、仮に持つとすれば、どのような責任を持つべきなのか。マネジメントは、競争に負けないために組織を筋肉質に保つことだけに関心を持つべきなのか、他の手段には関心を持つべきではないのか。マネジメントは、自分の将来に対してのみ忠誠心を持っている従業員に満足すべきなのか。企業はその従業員と、相互信頼と配慮をベースとした関係を持たずして、どのように企業としての能力を組み立て、権限委譲のできるチームを形成し、顧客を深く理解し、そして最も大事なことだが、コミュニティー感覚の創造、すなわち、目的意識の共有を図ることができるのだろうか。さらに、企業が従業員に対して、きちんとしたコミットをし、また、従業員も企業にコミットをすることなしに、企業はどのようにこうした関係を構築することができようか。