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数年前からアメリカ経済の活力は著しく衰弱し、経済全体の繁栄について不安が高まってきた。この健康と自信の喪失は何が原因か。経済学者や経済界のリーダーたちはOPECの強奪、税制や金融政策の不備、規制の増大といった要因をあげる。しかしこれだけでは十分でない。
このような要因だけでは、例えばなぜアメリカの生産性の伸び率がヨーロッパや日本に比べ、絶対的にも相対的にも低いのかを説明できない。さらにまた、なぜアメリカが多くの技術集約的産業や成熟産業においてリーダーシップを失うにいたったかも説明できない。たしかに政府規制、インフレ、金融政策、税法、労働のコストや規制、資本不足という不安、輸入石油の価格などすぐに思いつくいくつかの要因が、アメリカ経済に犠牲を強いてきた。しかしこの種の要因は諸外国の経済環境にもアメリカと同じように影響を及ぼしているのである。
例えばこの説明ではドイツの経営者を納得させることはできないだろう。ドイツは原油の95%を輸入している(アメリカは50%しか輸入していない)。GDP(国内総生産)に占める政府のシェアは約37%である(アメリカは約30%である)。ドイツでは重要な意思決定については労働者と協議せねばならない。しかもドイツの生産性上昇率は1970年以来一貫して高まっており、最近ではアメリカの4倍以上も伸びている。フランスでも事情はドイツと似たようなものである。フランスは現在鉄鋼と繊維が危機に直面しているにもかかわらず、製造業における生産性の伸び率はアメリカの3倍以上である。しかも現代産業国家はアメリカ経済を悩ましている問題や圧力から免れることはできないのである。とすれば、いったいなぜアメリカ企業は他の国以上にその競争的活力を失うにいたったのか。
われわれの研究によれば、今日、企業が成功するには技術を基盤にして、市場で組織的に競争することが必要である。つまりすぐれた製品を提供して、長期にわたって競争せねばならない。ところがアメリカの経営者たちは彼らが最新最善の経営原則と考えるものに従って、その関心を別な面にますます向けてきたのである。この新しい経営原則なるものは精緻で応用範囲が広いものの、(1)経験から生ずる洞察力よりも分析的推論と、(2)技術的競争力の長期的開発よりも短期的コスト削減を推奨する。われわれの見るところではアメリカ経済の活力をひそかに奪ってきたのは、他ならぬこの新しい経営教義であった。アメリカ的経営は第2次世界大戦後の20年間、効率的な成果のゆえに世界各国から賞讃されてきた。しかし時代は変ったのである。安定した時代に形成され洗練されてきた方式は、今日のように急速かつ予想し難い変化やエネルギー問題、国際競争、絶えざる技術革新の必要性などを特徴とする世界では通用しないのかもしれない。このような世界が1980年代の世界であり、おそらく今世紀の終わりまで続く世界であろう。
客観的な自己分析を真剣に行なうべきときが到来してすでに久しい。アメリカの経営者が実践してきたことでまちがっているものは、いったい何か。技術開発のすすめ方の中で決定的な弱点は何か。経営の方針や実際の根拠ともなり、しかも長い間問題にされなかった前提の何が問題なのか。