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ある朝、アメリカのどこか僻地で目を覚ましたリップ・バン・ウィンクル(現代版、紅毛浦島太郎)が、いまなお1950年代に焼きついた米国産業の輝かしいイメージを持ちつづけたままでいるという可能性も、まったくないわけではない。しかし、そんなことは、やはりありそうにない。結局のところ、ここ2、3年というもの、経済に関する泣き言の一斉放唱で妨害されずに誰が安眠できたであろうか。アメリカの多くの産業――とりわけ成熟製造業部門――が不況に出あったことに気づかないままでいた人が、いたであろうか。
また一方で、これこそ成功間違いなしという救済策を説かずにいた人が、いたであろうか。息を吹き返したサプライ・サイド経済学者は大幅な資本形成を、合理的産業政策を唱える“新階級”論者は既存資本の配分改善を、産業エコノミストは生産性の向上を、組織労働者は産業再生化に対する一貫した対策を、冷静な(どちらかといえば頑固な)ケインジアンは人為的需要管理の推進を、かしましいラッファー派経済学者は大幅減税を、議会専門家は慎重に練られた減価償却や投資免税を、フリードマン派は金融引締めを、ネーダー派は反企業的経済デモクラシーを、それぞれ提唱している。
経済変動を乗り切る最良の戦略について、こうも派手に見立てがまちまちに分かれたのは、それらが認識の点でも理解の点でも、ともに不十分なことを示している。すなわち、われわれが産業で当面している不安感からいっても、ありきたりの解釈は通らず、ありきたりの処方箋は抵抗を受けるのである。変動をうまく乗り切ることは、これまで困難であった。それというのは、古い経済計算方式にならされてきた企業や政府の政策立案者たちが、新しい競争の実態について、それが一体何であるか理解することも、それを分析するための最良の用語を識別することも、手に負えなくなってきているからである。
政策立案者たちには、もはや長年の経験も、使い古された仮説ももちこたえられなくなったことが理解できない。同様に多くの産業における構造的仕組み――例えば労使間とか生産者・資材納入業者間といった、おなじみの関係――は、競争の現実に、もはや適合しなくなっている。
その結果、何ごとも起こらなかったかのごとく振る舞いつづけている意思決定者たちは、せいぜいよくいっても無能者、悪くいえば経済的災厄の怠慢な周旋人といえよう。
変革の推進者
では一体、何が起こったのか。2つの目立った変化が国際競争と、競争を変えてしまう技術進歩とに次第にはっきりとした姿を見せてきた。まずはじめに、このような変化を経験してきた2つの基礎的主要製造業をみてみよう。