“君はわかっていないんだ。ウイリーはセールスマンだったのだよ……。ボルトをナットでしめるわけではない。法律のことを話したり、薬を調合してくれるというわけでもない。彼はそんなこととは無関係に青空のもとでほほ笑みをうかべ、靴をぴかぴかにしている。そして、お客がほほ笑みを返してくれなくなったとすると――それは大変悲しいことなのだ”。
  アーサー・ミラー 「セールスマンの死」より

 多くの企業でなされている販売活動は、効率的なマーケティングのよい事例ということができる。見込客の掘りおこしからアフター・サービスにいたるまで、販売計画が慎重にたてられ、主要な取引については管理者からの特別の注意があり、販売にあたっては相当の資財が投入される。しかし、このように綿密に計画され実施された販売戦略であっても、管理者が購買心理学――販売における人間的な側面――について十分な理解をしていないと、失敗に帰することがよくある。次のような2つの事例をみてほしい。

□ ある急成長をとげている高性能グラフィック・コンピュータの製造販売会社では、大口需要の可能性のある顧客への販売に問題が生じた。この業界では購入台数の多いユーザーに対しては、見積額を高く設定しておき大幅の値引きをするという慣習があったが、この会社では慣習に反して競合相手よりも10%から15%低い価格づけをし、納入台数に基づく値引きを少なくしていた。この会社の正価は最低であることが多かったが、買手からの抵抗が強かった。その理由は、管理者があとで知ったことであるが、購入担当者が自分たちの購入した高性能コンピュータの正価よりは、交渉によって得た値引き額によって自身を評価しまた上司から評価されると思っていたためである。

 正当な価格論理が通用しない買い手に対しては、値引きが重要な意味をもっていたのである。

□ 数年前AT&T社の長距離通信事業部の販売部長は、ある主要な納入先を横どりされるおそれのある、多分に高度の技術をもった競合会社と争っていた。納入先でベル社への置き換えに最終決定権をもっている人たちには、かつてベル社の社員であった遠距離通信部長、IBMのコンピュータをすべて他社のものに置きかえたことがあるために、前の部署では“大物殺し”として有名な情報処理担当の副社長、AT&T社側からは接触ができそうにない、精力的な性格の長距離通信事業部長などがいた。

 AT&T社の若い大口販売部長は、心配でほとんど仕事が手につかないほどであった。彼の部署では、長年にわたってAT&T社からの納入をうけている顧客企業に所属している大勢の管理者について、その権力、動機、思考傾向について、子細に検討をしたことは一度もなかった。こういった分析がなければ、短い期間――販売上の脅威に対応するための通常の時間――内に効果的、統合的な活動をすることは不可能であった。

人問的な要因をつかむこと

 販売効率を高めるために、心理学をどのように用いることができるのであろうか。著者は、販売者が購買の際の人間的な要因を認知し、それに心くばりをすることによって、完売の割合がふえ、販売過程で不愉快な出来事にあうことが少なくなるものと思っている。