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マーケティング・サービス部長に就任してからちょうど2年を経て、35歳になったトム・コナントは、会社を辞めて法律を専攻しようと考えた。彼は自分が法廷に立って、堂々と弁論を展開し、判事を説得する姿を空想した。そして、証人に鋭い質問を浴びせて相手の弁護士をやり込め、ねらい通りの判決に導いてゆくのは、さぞ胸のすくような気分であろうと想像し、心のはやるのを覚えた。
ビジネススクール卒業直後、現在の会社に入り、昇進に次ぐ昇進の出世コースを12年間歩んできたトムは、その間、マーケティング、技術革新、研究をはじめ、新企画の実現などに敏腕を振るって、重要な新規事業を開発した。他の面でも彼は、上司、部下双方の目から見て、模範的マネジャーとして将来を期待されていた。入社当初は、血気にはやるきらいがあったが、責任のある仕事を持たされるにつれて、気持にゆとりができ、仕事に生きがいを見出し、同僚との交際を楽しむようになった。
そのような環境にあるのに、なぜ弁護士になろうなどと考えるのだろうか。彼は自分の心の変化に驚いていた。競争会社からスカウトされるかもしれないと考えたことはあったが、まさか職を捨てる気になるとは思いもよらなかった。彼の前任者でよき指導者レオ・バーンズは自分の後に付いて副社長へのコ―スを進んでほしいと願っていた。したがって、彼が辞めたらレオはさぞがっかりするだろうと思うと心が滅入った。彼はレオと争ったり、彼をがっかりさせたくないと思った。
そうした気持がいつかレオに対する怒りへとエスカレートしていった。彼は心の中でレオに、自分がなぜ辞める決心をしたのか、そこに至るまでの心中を語ろうとしたが、レオは聞いてくれなかった。トムが辞めると言い出したのでレオはがっかりし、次第にいら立ってきた。やがて、トムの描いたドラマは大詰めにきて、レオはトムに向かって直ちに会社を辞めるよう迫る。「マーケティング部ではもう君に用はない。君の計画通りやったらいい。そしてさっさと出ていってくれ」
このような空想に駆られるとき、彼はいつもいっそ思い切ってやってみようかと考える。彼の前途は有望だった。忠実な社員で会社も彼を優遇した。部長に昇進して仕事の責任も新たに加わり、業界の評判も高まった。ここ2年間別に退屈することはなかった。しかし、仕事の合間にふと転職した他の部長たちのことを回想する。彼の知っているエンジニアは40歳のとき、製品開発部門の重要ポストを棒に振って法律学部に入り、現在パテント関係の弁護士をしている。彼は転職してよかったと自慢する。「私はかつて、新製品の開発を一生涯続けるつもりだった。が、いまでは画期的な変化を生み出そうとしている人びとのために、私のエンジニア関係の知識を生かせるのです」と。
さらにトムは、第二、第三の道を選んだ有名人たちのことを思った。カリフォルニア州前知事ジェリー・ブラウンは、政界に入る前にはイエズス会の神父だった。ヘンリー・キッシンジャーは、外交官になる前は大学教授をしていた。また、現在ビジネススクールの学部長や大学の学長で、かつて会社の最高経営者だった人の名も何人か浮んだ。
回想の最後は、いつものように、“みなさんお世話になりました”と同僚に握手をして立ち去ろうとする。そして、あの人たちもきっと“転職すべきだった”と考えているに違いないと想像する。
以上述べたように、ほとんどすべての人は、社会に出てからいつかは転職について考える。多くの場合それなりの理由もある。トムの法律学校の幻想は、ひとつは自分の生活と企業環境を、冷静に分析したことからきていた。“消費者運動がますます盛んになるにつれて、今後10年間にマーケティング分野は激しく変動するであろう”と彼は確信した。“広告・宣伝に関する連邦・州・地方政府の規制は、一時的には緩和されていても、やがて厳しくなろう。そこでマーケティングの経験に法律的学識がプラスされれば、こうした傾向を先取りして、社内の顧問弁護士あるいは、一般のコンサルタントとして、安定した道が開ける”こうトムは推論したのだった。