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今日では、たたき上げ型の管理方式をやめて、従業員の参加度をより以上に高めた管理方式へ変えていきたいと望んでいる企業が多い。しかし、親から虐待されて育った子供が大人になると子供を虐待する親になるように、どちらかといえば古くさいやり方できたえられてきたマネジャーは、新しい管理ルールのもとでは仕事がうまくやれないかもしれない。
ハネウエルでも、パットン将軍型の厳しい管理方式から、より協調的なやり方へ変えていこうとする努力が続けられている。そして、現在もまだその進行過程のまっ最中である。ハネウエルでの従業員管理方式はまだ完全とはいえないが、従業員はかつてのように、強固な官僚的体制から生じる挫折感や欲求不満を感じる度合が少なくなり、いまでは、ともに仕事をしているという真の連帯感を抱くことができるようになった。その結果、数字で計算できる生産性の向上と、数字ではあらわしにくい作業環境や従業員の革新性の向上の両面で、めざましい効果が生じている。
ここで私は、ハネウエルでの従業員管理方式の変化とそれを進めていくうえで遭遇した数々の問題点、ならびに現在の好ましい状況をもたらすために使ってきた問題解決方法について述べるつもりである。この過程を理解してもらうためには、ぜひとも、われわれが犯した過ちについて述べておかねばならない。なぜならこれらの過ちのなかには、それがあって初めて当社が成長できたというほど重要なものがあるからである。いいかえると、従業員の参加を仕事のやり方として組織化するためには、その過程そのものを組織的に行なわなければならない――少なくとも当社ではそうであった。やり方を書いた本を見てそのとおりに進めたり、外部の組織いじりの専門家に依頼するようなやり方をとっていたら、今日の姿にはなっていなかっただろう。われわれは参加型の従業員管理方式確立の手順を発見したが、この成果を望む他社の人においても、われわれが犯したのと同じ過ちが必要だとは考えていない。
われわれがこの手順を発見したのは、1980年から82年にかけてハネウエルの国防および海洋システムグループ(当時は国防システム事業部)とよばれる事業部での経験を通じてであった。この事業部はその時以来成長を続け、いまではいくつかの事業部を含む1つのグループになったが、このような組織になった1つの理由は、この事業部が過去数年間業績を伸ばしてきたためである。このグループには約8000人の従業員がいて、ミネソタ、カリフォルニア、ワシントンの各州に分散している。当グループは、従業員数ではハネウエル全体の約10%、売上高ではハネウエルの総売上高(60億ドル)の約12%を占めている。グループの従業員のおよそ半数は、ハネウエルの本社と大きな工場がいくつか立地しているミネアポリス地区に集中している。
このグループの国防関連事業は、魚雷、弾薬、陸軍向けの武器の製造とコンピュータを利用した訓練システムの設計が主なものである。また民間向けとしては、海上の石油掘削ならびに海洋関連事業があり、石油掘削船の安定維持システムや海底作業用のロボットとテレビカメラの製造およびサービスを行なっている。さらに、主に水資源関連のエンジニアリング事業も行なっている。従業員の学歴は高く、仕事に対するモチベーションも高い。そして、従業員の5人に1人は技術者である。ミネアポリス地区の1600人の工場従業員はユニオン(組合)労働者である。歴史の古い事業部では職歴20年という従業員も、めずらしくないほどである。
パットン将軍型の管理方式
私がハネウエルに入社したのは1950年代の終わりごろで、それ以降順調に昇進していったのであるが、当時の管理者といえば厳格で、甘さのないタイプがきまりとなっていた。これらの管理者の専制的なやり方については、多くの逸話がいつまでも語りつがれている。例えば、“生産性向上策”として就業時間中にトイレで本や新聞を読ませないようにするために、トイレの仕切り扉をとり払ったようなことも行なわれた(これは、ずっと前に元に戻されたけれども)。現在の上級および中級管理者は、このような時期に訓練を受けていたから、この人たちを新しい管理方式になじませようとしても簡単にはいかなかったのである。パットン将軍がやるように、いっぱつくらわせて改心させるにはほんの数秒ですむのに、なぜ真珠貝のにぎりのついたピストルを捨てて『1分間マネジャー』を読まなければならないんだ、というわけである。