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アメリカの企業管理者は、自分たちが製品の品質改善を迫られていることを認識している。それがアメリカの消費者の意向だからである。1981年の調査によると、アメリカの消費者の50%近くが、過去5年間にアメリカ製品の品質が低下したと考えていると報告されており、もっと最近の調査では、消費者の約4分の1が信頼性の高い製品を提供する能力の点では、アメリカの産業はもはや“まったく”信をおくことができないとしている。多くの企業が、例えば品質コスト計算、異部門間チーム、信頼性工学、統計的品質管理など、ほぼ一世代にわたって品質運動の標準であった各種のプログラムを採用することにより、自社の品質を改善しようと試みてきた。だが、品質で競争することを学び得た企業はほとんどない。これはなぜか。
問題の一部はいうまでもなく、日本やヨーロッパとの競合が激しくなるまで、たとえ品質プログラムを実行していても、これに真剣に取り組んでいた企業は、ごく一部にすぎなかったという点にある。しかし、たとえ企業が品質管理に関する伝統的な考え方にもっと真剣に取り組んでいたとしても、今日アメリカの消費者が満足していたかといえば、それははなはだ疑わしい。筆者の見解では、これらの原理の大部分はきわめて狭い範囲を対象としたものであり、失敗の事前回避、ないし“欠陥”の排除を目的とした純粋に防衛的な手法として設計されていた。現在、企業管理者が必要としているのは、高品質を競争上のくさびとして用いることにより、市場を奪取し、確保するための攻撃的な戦略なのである。
品質管理
伝統的な品質管理がもつ防衛的な性格を、より正確に把握するには、アメリカにおける品質運動が、今日までに、なにを達成してきたかを理解しなければならない。品質に対してどの程度の支出まで可能であったか。十分な“品質”とはどの程度をいうのか。1951年、ジョセフ・ジュランは、のちに品質運動のバイブルとなった『品質管理ハンドブック(Quality Control Handbook)』の初版のなかで、これらの課題に取り組んだ。ジュランは、品質は、回避可能コストと不可避コストの観点から理解すべきだと考えた。すなわち、前者は、廃棄材料や再加工、修理あるいは苦情処理に要する労働時間のように、欠陥や失敗作に起因するコストであり、いっぽう、後者は予防のためのコスト、すなわち検査、抜取り検査、選別、その他の品質管理活動にかかわるコストである。ジュランは、失敗のコストを“宝の山(gold in the mine)”と述べているが、これは品質改善に対する投資によって、これらを急激に低減させることが可能だからである。彼は、回避可能な品質上のロスは、典型的な場合で年間、生産労働者1人当たり500ドルから1000ドルの範囲――これは1950年代当時としては大きな金額である――にもなると推定している。
ジュランの著書を読むことにより、企業幹部は品質改善にどの程度の投資をなすべきかを、おおまかに推定することができる。すなわち予防のための支出は、それが不良品のコストを下回っている場合には正当化されることになる。当然ながらここから、生産連鎖の初期(例えば、ある製品の設計のためにエンジニアが最初のスケッチを描く段階など)に下された決定は、その後、工場、市場の双方で発生する品質コストのレベルに影響するという論理が導き出される。
1956年、アーマンド・ファイゲンバウムは、ジュランの考えを一歩進めて、“総合的品質管理(total quality control, TQC)”を提唱した。製造部門のみが単独で品質追求をしいられているだけでは、企業は高品質の製品を作り出すことはできないと彼は主張した。TQCでは、マ―ケティング、エンジニアリング、購買、そして製造部門からの“機能組織横断的チーム”が必要であった。これらのチームは、設計と製造のあらゆるフェーズについて責任を分担し、そして現在だけでなく将来にわたって満足する製品を消費者に手渡した時にはじめて解散する。
ファイゲンバウムは、新製品はいずれも、設計管理、外注資材管理、そして製品管理ないし現場管理という3つの活動段階を経ると述べている。これは方向としては正しいステップであった。だがファイゲンバウムは、品質はすべての企業にとって、なによりもまず戦略的課題として大きな意味をもつという点を真に考察していたとはいいがたい。例えば品質が、設計の開発方向や、付加機能やオプションの選択をいかに大きく左右しているかといったことである。むしろファイゲンバウムにとって、設計管理とは、主として新しい設計の製造可能性の生産前評価を意味するのであり、いっぽう、計画されている製造技術のほうは、パイロット生産により欠陥の見落としを除去すべきだとしていた。資材管理とは、納入業者の評価や納品検査手順のことであった。
TQCにおいては、品質とは単一の部門が全責任を負うのではなく、分担すべき一種の責務とされる。システムの効果について最終的に責任を負うのはトップ・マネジメントであるため、ファイゲンバウムはジュランと同様、上級幹部の参画を確保するために、品質のコストについて注意深く報告するよう提案している。
2人はまた、製品の生産に影響する重要な変数について、その許容しうる変動幅の限界を定める工程管理図も含めて、品質に対する統計的アプローチを重要視している。また彼らは、管理者が少量の無作為に抽出されたサンプル品の状態から、一群の製品全体の品質について推論を導き出すことのできる抜取り検査法を支持している。