多くの経済論者達――最近の歯に衣着せぬ論者達を含めて――は、アメリカの競争力を強化するためには、既成の大組織よりも小規模の起業家的企業のほうが優れていると論じてきた。彼らは、競争市場の効率が所与であるとすれば、政府が産業活動に介入することは無益であると論じている。アメリカの最近の企業活動における敗北は、特に製造業で、利益源泉の変化――消費財市場向けの大量生産から高付加価値型の特定市場やサービスへの移行――が生じていることを意味していると主張するものもある。ジョージ・ギルダーの魅惑的なフレーズを使うならば、市場の行動は本質的に回復力があり、従って“企業の精神”は、アメリカの産業が強者として生き残れることを保証するわけである。

 この議論は極めて説得力を持っている。しかし事実をもって検証することはできない。アメリカの企業経営者は、祈祷師経済(voodoo economics)がもたらした危険な産物――迷信的な競争原理――と戦わなければならない。事実わがアメリカは、深刻な問題に直面しており、この問題は個々の起業家の自助的でかつ独創的な努力によっても解決し得ないのである。アメリカの産業の枢要部を成す――金融サービス、自動車、鉄鋼、先端的電子産業――の凋落は、大企業に対する小企業の内在的優位性を示しているわけでもない。むしろこの凋落は、既成企業のために長期的な投資と成長、競争力確保に必要なインセンティブと資源を提供し得なかった現在の競争条件の失敗を示しているのである。

 ギルダーは、HBR誌前号の論文(DHB1988年5月号掲載)で、ドラマチックだが、誤った見解を持ってアメリカの死命を制する産業、すなわち半導体産業が繁栄していると論じているが、彼と同じようにこのおまじないを唱道できるものがだれかいるであろうか。ギルダーは、アメリカの半導体産業が活力を持っているのは小規模の設計会社と“ミニ工場”の起業家的エネルギーの故であると論じている。彼は、日本の産業はアメリカ企業よりも起業家的であるが故に成功したのだということを我々に教えている。彼の論ずるところによれば、大型コンピュータに対するパーソナル・コンピュータの台頭、集中型交換機に対するローカルPBXの普及は、いずれも産業の細胞分裂的細分化を促進する大規模な技術変化に寄与しており、またそれを実証するものである。従ってアメリカの産業の競争力を維持するための正しい方法は、起業家的活力を強化する――そしてあらゆる犠牲を払っても政府の介入を避ける――ことだということになる。私の考えでは、こうした主張は願望思考の危険な症状を表している。そしてこれは私だけの考えではない。

競争相手国で進む資本の集中化

 今ではアメリカは、世界的にみても高度技術製品の純輸入国である。1981年のアメリカの純輸出額は270億ドルであった[原注1]。大豆、小麦、トウモロコシ、木材、航空機の分野で、アメリカは日本に対して純輸出国である。これに対して、コンピュータ、ロボット、先端的素材、NC工作機械、遠隔通信装置、家庭電器製品では、アメリカは日本に対して純輸入国であって、しかも半導体の純輸入額は年間5億ドルにも達している。世界市場でのシェアから特許統計に至る様々な証拠が、基盤において技術の凋落が進んでいることを示唆している。

 さらに航空機産業や化学工業などアメリカの最も成功した産業のいくつかは、その活力を少数の巨大企業の強さと先見性に依存している。高度技術産業におけるコスト構造は、研究開発やコンピュータ・ネットワーク、高度にフレキシブルな生産システム、世界的広がりを持つマーケティング組織や顧客支援組織などに規定され、ますます資本集約的にならざるを得ないと考えられる。確かに、産業行動のパターンは、大企業が技術集約産業部門をリードするのが一般的であること、そして基盤の安定した産業部門の成熟した世界市場も大企業が支配しようとする傾向が強いことを示唆している。

 アメリカの総合鉄鋼産業について考えてみよう。ここ数十年間のアメリカの鉄鋼産業にみられる行動様式は、カルテルの常態化とはなはだしい非効率、そして技術革新の採用を怠ってきたことに特徴付けられる。その上、労務管理の摩擦が絶えることがなかった。その結果、アメリカ鉄鋼業は外国鉄鋼業(日本に始まり、最近では韓国その他の国)に敗北し、さらにスクラップと電気アーク炉をベースとした初期費用の安い技術を活用する国内の起業家的ミニ工場にも破れ去った[原注2]。しかしミニ工場の成長は、技術的に制約があり(スクラップ不純物に無関心な市場でしか成長できない)、しかも金融や制度上の制約がある。ミニ工場の成長は、総合鉄鋼産業の没落を補うには至っていないし、アメリカは依然として純輸入国にとどまっている。

 これに対して日本と韓国の鉄鋼産業は、集約化され、戦略的協調のもとで行動し、政府保護下の寡占状態のもとにある。日本と韓国の鉄鋼産業は、数社の巨大メーカーに支配されており、この少数巨大企業はさらにより大きな産業グループとつながっている。一貫工場の平均生産能力はアメリカの最大工場の能力を上回っており、ミニ工場の活動分野は全く存在していない。これら巨大で協調的な保護されたメーカーは、効率的であり、技術面でも革新的であり、さらにフレキシブルである。

 さらに韓国のほとんどの製造業者は、4大産業グループ(現代、三星、大宇、金星)によって支配されている。現在、日本の金融サービス機関はアメリカの保険・金融市場で力を増しつつあるが、この日本の金融機関はアメリカの金融機関よりも格段に集中が進んでおり、保護と規制もはるかに強い。世界の7大銀行はすべて日本の銀行である。1987年には、アメリカの5大銀行が平均880億ドルの資産を保有していたのに対して、日本で7位の日本興業銀行は、1610億ドルの資産を保有していた。1982年には、日本の商業銀行部門は86社で構成されていたが、このときドイツは182社、アメリカは1万4960社であった。日本の非住宅建設産業は現在、アメリカ市場の4%を占めているが、この産業もまた、清水建設、鹿島建設、大林組などの巨大企業によって支配される政府保護下の寡占産業である。日本の半導体、コンピュータ、遠隔通信装置部門は、どちらかといえばこれよりももっと集中的であろう。