競争それ自身と同じように、競争優位もたえず動き続けるターゲットである。どの産業のどの企業であっても、鍵は、自社の競争優位の源泉についてたった1つの単純な考え方にとらわれないことである。最も優れた競争者、最も成功した競争者は、どうすれば活動し続けることができるか、いかにすれば厳しい競争の最先端を走り続けることができるかを知っている。

 今日では、時間が勝敗の分かれ目である。リーディング・カンパニーが生産、新製品の開発や導入、販売や物流でいかに管理しているかを見れば、時間が競争優位の最も強力で新しい源泉であることがわかる。

 欧米企業の中にもこの優位を追求している企業もあるが、日本の経験と実践の例から最も優れた教訓を得ることができる。日本企業がもともとユニークだからというのではなく、リーディング・カンパニーの成長過程における発展段階を最もよく示しているからである。

 第二次世界大戦直後、日本企業は、低い労働力コストを活用して様々な産業に参入した。賃金率が上昇し、かつ技術の重要性が増すにつれて、日本企業は、まず規模追求戦略に転じ、次には特化型工場(市場に狙いを定めたり専用ラインだけの工場)戦略に転じて、優位性を確保しようとした。ジャスト・イン・タイム生産方式の登場は、同時にフレキシブルな工場への移行の動きをもたらしたということができる。

 つまり日本のリーディング・カンパニーは、低コストと市場の多様性の両方を追求したのである。先端に位置する日本企業は、競争優位の重要な源泉として、時間を最大限に活用している。すなわち製品開発サイクルにおける計画ループを短縮したり、工場での加工時間を削減しようとしている。多くの企業がコストや品質、在庫を管理しているが、それと同じように時間を管理しているのである。

 事実、時間は戦略的武器として、資金、生産性、品質さらにはイノベーションと同等の価値を持っている。時間を管理することによって、日本のトップ企業は、コストを削減するだけではなく、製品ラインの幅を広げ、より多様な市場をカバーし、製品の技術的性能を高めることができた。こうした日本のトップ企業とは、時間をベースとする競争者なのである。

労働集約型から資本集約型へ

 1945年以来、日本の競争者は戦略的な目標を少なくとも4回変えてきた。初期の適応段階は、単純で明確であったが、時間をベースとする競争優位への移行は、それに比べれば明確ではない。しかしこの移行は、初期の各発展段階の必然的な結果を表している。

 第二次世界大戦の直後、戦争の余波で日本経済が荒廃し世界が混乱していた時代には、日本企業は低い労働力コストに頼って競争優位を確保することに力を注いだ。日本の労働者の生産性はそれでもなお高く、円がドルに対して98.8%切り下げられたために、日本の労働力コストは、欧米先進国経済の労働力コストに対して極端に強い競争力を持っていたのである。