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1985年7月:AT&Tは、家庭用電話機の生産をルイジアナ州シュリーブポートにある国内唯一の電話機工場からシンガポールに移転することを決定。
1986年2月:ユナイテッド・テクノロジーズは、マサチューセッツ州スプリングフィールドのディーゼルエンジン工場を閉鎖し、その事業をサウスカロライナ州の非ユニオン系の1工場とヨーロッパの2工場に移す計画を発表。
1987年2月:ゼネラル・モーターズはアメリカ国内でのAボディーカーの生産を段階的に停止し、これをメキシコのコアウイラ州ラマス・アリスペ工場に移すことを計画。
過去数十年間、海外直接投資はアメリカ企業の間ではごくありきたりの慣行であり、従って上記のような投資もことさらに取り上げる意味のあることとは思えないかもしれない。しかし実は意味があるのだ。かつてはアメリカ企業は基本的には外国市場の確保、あるいは原材料の入手のために外国に出た。しかし今日では、国内に逆輸入する製品や部品を購入ないし生産するために海外に出ていく。こうした新しいタイプの投資は、国内での生産を補完するものでなく、それを代替してしまうものである。
製造企業は、低コストかつ高品質の輸入品と競合するための唯一の方策として、海外調達を正当化しようとする。メキシコ、台湾、マレーシアといった低賃金国に移転し、そこからアメリカに逆輸入することにより、アメリカの産業は世界的地位を回復することが可能だと主張する。一般にエコノミストたちもほぼ同意見である。つまり低賃金地域への移転は、国際的な比較優位の変化に対する調整行為と考えている。
他方、こうした傾向を快く思わない勢力もある。労働組合はこれによりアメリカが脱工業化に向かい、その結果、国内の雇用が損なわれると主張する。また識者の中には、これによってアメリカの産業基盤が“空洞化”し、ひいては生活水準に脅威をもたらすとみるものもいる。
国家にとってのオフショア生産の是非が論争される場合も、少なくとも個々の企業にとっては、それは善であるということが常に前提になっている。しかし、筆者たちはこの見方に挑戦してみる。端的にいえば、多数の企業がオフショア生産を行っているが、それが必ずしも所期の成果を上げているわけではないというのが現実なのである。海外に出るのは、多くの人々が考えているような万能薬ではない。むしろ対症療法の一種というところがせいぜいであろう。金を節約するために海外に争って出ていくマネジャーは、往々にしてそれに伴う高い代償を見過ごしている。そして、最も賃金の低い地域を求めて絶えず生産を移転させるのは、事業のうち真の改革を必要とする部分が直面する、避けがたい裁きの日を単に先延ばししているだけなのだ。
それだけが選択肢ではない
アメリカの製造企業は、外国のライバル企業に対して競争力を保つには、オフショアに向かうのが唯一の代替策だという。つまりオフショア生産か、さもなくば生産の放棄かということになる。この議論はいかにも説得力があるようにみえるが、いくつかの事実に照らしてみれば、それは決して確固たる裏づけのあるものでないことがわかる。