ロックアイランド・ブリッジ・カンパニーの弁護人

 1856年春、ある晩のことである。ミシシッピ川を航行していた外輪蒸気船エフィ・アフトン号は、アイオワ州ダベンポートと対岸のイリノイ州ロックアイランドを結ぶ鉄橋に衝突し、炎上沈没した。

 この鉄橋に船が衝突したのは、これが初めてではない。ミシシッピ川初の鉄橋としてこの橋が建設されてからというもの、人工の障害物に不慣れな船長たちは、たびたび衝突事故を起こしていたのだった。そこで今回の事故の後、船主たちは「鉄橋は船の航行を妨げる危険物」と見なし、ロックアイランド・ブリッジ・カンパニーを相手取って損害賠償訴訟を起こした。

 ただし原告側の狙いは安全の問題だけではなかった。ミシシッピ川を越える鉄道輸送は、明らかに河川輸送の競争相手として大きな脅威になりつつあったのだ。船主たちにとってこの衝突事故は、ライバルの息の根を止めるとはいかなくとも、その勢いを削ぐ千載一遇のチャンスだったのである。

 海運・港湾関係者は、この橋──衝突事故で自分たちも大きな損傷を負っていたが──を即刻取り壊すべきだと口々に申し立て、さらに新しい橋の建設を全面的に禁止することを求めた。鉄橋の所有者たちは、裁判の行方のみならず、このような訴えにも頭を悩ませなければならなかった。

 鉄橋の所有者たちは、鉄道と河川船舶の両方に詳しい弁護士を探した。その結果、白羽の矢を立てたのが、過去に数多くの鉄道関連の裁判を扱い、またホイッグ党[注]に属し、かつて下院議員を1期務めた経験を持ち、さらには川船の船頭をしていたこともある新進気鋭の弁護士、エイブラハム・リンカーンだった。

 150年前の訴訟事件と現在の世界経済との間に何の関係があるのかと思うかもしれない。しかしこの事件には、そしてロックアイランド・ブリッジ・カンパニーを弁護するリンカーンの陳述には、現在経済新興国が直面しているのと同じ種類の緊張関係や経済勢力の対立が数多く見られる。

 従来からの既得権益と、来るべき新しい経済秩序の要請。この二極対立の狭間にあって、いかにリンカーンはこれに対処したのか。現代の政策立案者は、彼の政策に驚くほど今日的な教訓を見出すことができるだろう。

アメリカの前身を振り返る

 だれもが、「いま我々は前例がないほどの変化に直面している」と口にするが、多くの歴史家の分析によると、リンカーン時代のアメリカも、負けず劣らず大きな変化に直面していたようである。