ストック・オプションは費用にほかならない

 ストック・オプションの会計処理方法をめぐる議論に終止符を打つ時が来た。この論争の歴史は長い。実は、執行役員に与えるストック・オプションの費用計上が決まったのは1972年のことだ。

 同年、現在のFASB(財務会計基準審議会)の前身であるAPB(会計原則審議会)は「APB25」を発行した。この規定では、ストック・オプションを付与する際の費用は、株式の公正価値とストック・オプションの権利行使価格との差、すなわち「本源的価値」によって測定するとされていた。この手法では、行使価格が時価と同一の場合ならば、費用が発生しない。

 この規定の論拠はかなり単純だった。ストック・オプションが付与された時点では金銭の授受は生じないので、ストック・オプションの発行は経済学的に重要な取引ではないというものだ。当時はこの考え方が主流であった。しかも72年当時は、市場で取引されないこの種の金融商品は、その価値を決めようにも、参考になるような理論や事例はあまりなかった。

 APB25は1年もしないうちに現実にそぐわなくなった。73年に発表されたブラック=ショールズ・モデル[注]がきっかけとなって、市場で一般的に取引されるオプションが大ブームとなったのだ。同じく73年、シカゴ・オプション取引所が開設されたことも追い風となった。

 オプション市場の発展と、執行役員や社員への報酬としてストック・オプションがさかんに用いられるようになった時期が一致しているのはけっして偶然ではない。ナショナル・センター・フォー・エンプロイ・オーナーシップ(ストック・オプション制度の研究・調査を中心に活動する非営利団体)は、2000年はほぼ1000万人の社員がストック・オプションを付与されたと推定する。90年にはその数は100万人にも満たなかったにもかかわらずだ。それからほどなくして、理論上も実務上も、どんな種類のオプションもAPB25で規定された本源的価値よりはるかに価値が高いことが明らかになった。

 84年、FASBはストック・オプション会計の見直しを開始した。10年以上にわたる侃々諤々の議論を経て、95年10月、最終的に「SFAS123」を発行した。これは、付与したストック・オプションについて費用計上することと、オプション価格モデルを使って公正価値を決定することを勧告するものであった。ただし、これは義務ではない。この新しい基準は、費用計上に反対する産業界と政治家の激しいロビー活動を反映した、妥協の産物でもあった。

 彼らは、執行役員へのストック・オプションはアメリカの比類なき経済再生における決定的な一要素であったと主張した。彼らにすれば、会計ルールを変更しようとすることは、華々しい成功を収めたアメリカの事業創造モデルへの攻撃と受け取ったのである。