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ドラッカーをめぐる毀誉褒貶
ピーター F. ドラッカーの名前を口にすると、企業人の多くが耳をそば立てる。彼の興味の対象はきわめて広く、企業にまつわる問題のほとんどを取り上げている。
実際、思慮にあふれ、傑作も多い彼の著書や論文──これらを積み上げると、ゆうに2メートルに及ぶ──のなかで言及されなかったものはわずかである。
この生産性だけでも、第一級の職業的業績といえる。これに加えて、ドラッカーは、数え切れないほどの幹部研修、講演会、会議、授業に登壇するだけでなく、コンサルタントとしても幅広く活躍し、複雑な問題を単純明快で洗練された言葉によって言い表す能力の持ち主であったことにも触れなければなるまい。
それゆえ、ドラッカーの名前を出せば、たいてい注目を集められるのも不思議ではない。人々は、この経験豊富な権威──本質を抽出し、これを分析し、巧みに表現する──を尊敬し、彼にあやかりたいと思い、彼の言葉に耳を傾ける。
もちろん、ドラッカーに無関心な人もいる。とりわけ学術界には、彼は研究者ではなくジャーナリストであり、またジャーナリストというより、一般論を述べる一言居士と思っている人々もいる。
彼ら彼女らは、ドラッカーの研究はおよそ研究と呼べる代物ではなく、彼のマネジメント思想は断片的で、何よりお粗末なのはまったく体系化されていないことであると言う。これらの人々にすれば、ドラッカーは書斎のなかの哲学者であり、実践者とは認められないようだ。
極端な人になると、ドラッカーは企業における数多の日常業務の詳細にはあまり関心がなく、またそれを理解する能力もないと思っており、それゆえ彼の意見が権威とされることに疑問を呈する。
その対極にいるのが、ドラッカーの熱心な信奉者たちである。人気の高い評論家のファン同様、彼を絶賛してやまない。とはいえ、ドラッカーの主張を支持するにしても、全体の文脈を無視して、彼の書いたことや話したことが、彼自身は認めないかたちで引用されることも少なくない。