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ピクサーでは肩書きなど関係ない
編集部(以下色文字):あなたは、世界で最も尊敬されるクリエイティブな企業の一つであるピクサー・アニメーション・スタジオを1986年に立ち上げ、長年、社長を務められました。共同創業者であるスティーブ・ジョブズ氏とは、26年間もビジネスパートナーとして一緒に仕事をされたそうですね。
キャットムル(以下略):私は2019年にピクサーの社長を退きましたが、それまでの間、ずっと社長を務めてきたように思われているかもしれません。ですが、実はスティーブから社長を2回も解任されています。
最初は、ハードウェア開発会社としてスタートしたピクサーの社長として苦悩していた頃で、スティーブに「君は手に負えない」と解任されました。そもそもトップになることが目的ではなかったとはいえ、肩書きが惜しかったのも事実です。それでも、目指していたのは映画業界を変革するレベルにまで自分たちのコンピュータアニメーション技術を高めることでしたから、新しい社長の下でCTO(最高技術責任者)となりました。その後ハードウェア部門が売却され、それが専門だった新社長が去り、私が社長に戻りました。
2回目は、『トイ・ストーリー』の発表直後の1995年にIPO(新規株式公開)することになった時でした。スティーブが言うのです。「君には公開企業の社長としてふさわしい性格も存在感もない」。聞いて嬉しい言葉ではありませんが、納得のいくことでしたから反論はしませんでした。私はスティーブのようにクリアな物言いをしないため、投資判断をする人たちにとってはわかりにくいのかもしれません。社長の席は空席のまま、私はまたCTOを務めました。
そしてIPOの数年後、スティーブが言いました。「そろそろ社長になる準備ができたな」。面白かったのは、社員を集めて私を社長に任命するとスティーブが発表したわけですが、社員が混乱していたことです。コロコロ変わる肩書きのことなど誰も知らず、みんな私がずっと社長を務めていたと思っていたのです。肩書きとは個人的なもので、ピクサーではそれほど気にかけるようなことではありませんでした。
肩書きは、仕事をするうえで関係ないということですか。
ピクサーには、「ブレイントラスト」という集まりがあります。これは製作中の作品を評価するために、数カ月ごとに何人かの社員が率直に話し合えるよう設けている会議で、製作に直接関わっていない社員も参加します。ここでは肩書きを介入させませんでした。
ブレイントラストは、社員が抵抗なく本当のことを議論の俎上に載せられる、言わば心理的な仕組みといえます。製作中に起こっている問題は個人的なものではないと共有し、また肩書きに話し合いの邪魔をさせません。ですから上層の人間は、最初の10~15分間は発言を許されません。権力を持つ人間が最初に発言すると、その後の雰囲気を左右してしまうからです。私がスティーブにブレイントラストには来てほしくないと頼んだのも、それが理由です。スティーブはちゃんとわかってくれました。
安全に発言できる環境づくりがリーダーの仕事
キャットムルさんがリーダーとして果たした役割は、最良のチーム環境を守る門番のようですね。
私の仕事は、チームがうまく機能しているかどうかを確かめることです。ブレイントラストも必要に応じて変化させていきました。特に見ていたのは、問題を捉えるダイナミクスが働いているかどうかです。非常にうまくいっている時もあれば、そうでない時もある。そうでない時は、ブレイントラストという場が機能しないのはなぜかを考えました。
問題がない時は製作プロセスを共有できるよう大きなグループにしたり、問題がある時は少人数で集まったりとサイズも変えます。大人数が相手だと自然と目立ちたがり屋になる人物も、小さなグループではそうならないことがあります。そうしたグループのダイナミクスも含め、すべてに目を向けていました。
ブレイントラストでは、たとえ他者から学ぼうという性格を持ち合わせていなくても、問題解決に集中できるようになります。そこは自分がどれほど優れているかを見せびらかしたり、他人を責めたりするような場ではないからです。つまり、ブレイントラストを通して、率直に意見が言える「安全」な環境とは何かを常に学習し続けていたといえます。
2014年に刊行された著書『ピクサー流 創造するちから[注]』では、コミュニケーション構造は組織構造と同じではないと書かれていましたね。
人は多少なりともヒエラルキーに反応する性質を持っています。たとえば、新規採用された社員がいるとしましょう。高いポテンシャルがあるから採用しているわけですが、ピクサーは大成功を収めている会社です。最初に「忌憚なく思ったことを言ってほしい」と伝えても、しくじったりしないよう注意深くなったり、周りにおもねったりするのが常で、安心して仕事に取り組めるようになるまで時間がかかります。
一方、新入社員の言うことに耳を傾けるよう経験豊富な人たちをトレーニングする必要もあります。彼らはいつも時間のプレッシャーの中にいて、経験の浅い社員にじっくり時間をかけていられません。しかし、よく話を聞くようになると、新入社員の学習スピードは上がり、チームに新鮮な見方を与えてくれることが多いのです。組織の上層にいる人間は、自分はすべてを経験しており、新入社員は何も知らないという想定が間違っていたと学びます。つまり、言いたいことを言ってよいとリーダーが設定すれば、皆が前進できるのです。自分が話すのと他人に耳を傾けるのには、等しく時間をかけるべきです。
とは言え、ピクサーは個性の強い人々の集まりです。ブレイントラストはコンフリクト(対立)を解決する方法でもあると思いますが、そもそも製作上の問題のうち、どの程度が社員間の個人的コンフリクトによって起こっているのでしょうか。
社員は皆、性格が違うので、ある程度のコンフリクトはあります。しかし、ブレイントラストをコンフリクト解消の場とは捉えていませんでした。テンションが上がって相当に意見が食い違うこともありましたが、それはコンフリクトではありません。問題に集中していただけです。
実際、その場では魔法のようなことが起こっていました。白熱した議論の最中に誰かが投げかけたアイデアが、受け入れられなかったとしましょう。それでもその人物は気を落としたりしません。つまり、アイデアと自分は別物だという意識があるのです。アイデアと自分を一体化させていたら、傷つけられたと感じるところでしょう。しかし、それはただのアイデアで、ダメならば次に進めばよいだけなのです。
自分の意見が否定されると、普通は気落ちします。
個人的なこだわりをなくして、何が問題解決に必要なのかにフォーカスするのです。こうした議論は、外からはコンフリクトのように見えるでしょうが、中の人間はそう感じていません。お互いをよく知るようになれば、皆で同じ問題を解こうとする。これはどうだ、それがダメならこちらはどうだ、というふうにチェーンがどんどんつながっていくわけです。これは、失敗でもコンフリクトでもありません。そして、こうしたインタラクションの中から最良のアイデアは出てきます。誰か一人が発案するのではなく、互いの刺激の中から生まれてくるのです。
近年のリモートワークは人との接触を減らしてしまい、建設的に意見を戦わせることが難しくなっていませんか。
コロナ禍では、世界中がリモートワークという実験に取り組むことを余儀なくされ、そこから多くを学びました。ただのミーティングならば、それでまったく問題がないこともわかりました。しかし、議論には別の性質があり、リモートではできないことも多く、また廊下で偶然すれ違って立ち話をするような機会も重要です。ビデオミーティングの最中にサイドバーのチャットで別の話が進行していたりする状態は、私には耐えられません。会議に集中していないからです。
実際の会議室でのミーティングでは、20人ほどがテーブルに集まっているとして、会議中に数人が後ろでちょっと話し合いをしてから「私たちはこう考える」と戻ってきたりすることがあります。しかし、これはサイドバーでのチャットとは異なります。同じ部屋にいることで起こる人間のダイナミズムこそが本当に大切なのです。そのためピクサーは、社員がオフィスに戻ってくるように義務づけています。ピクサーは素晴らしい場所で、そこではエネルギーを感じられるのです。
「失敗」という言葉は大きな問題のためにある
先ほども触れた著書『ピクサー流 創造するちから』では、ブレイントラストをはじめ、ピクサーがクリエイティブな企業としてヒット作を生み続ける仕組みをどのようにつくり上げてきたのかが語られ、大きな注目を集めました。その後、2023年には改訂版(未訳)を出されていますが、どのようなことを新たにつけ加えたのですか。
ピクサーでの在任中に得たいくつかの洞察を加えました。初版では、それを明確に表現していなかったと感じたのです。たとえば、初版では「失敗」を学習機会として受け入れるべきと書きましたが、そもそもピクサーでは「失敗」という言葉を使っていなかったことに思い当たりました。うまくいかないことばかりでしたが、それを「失敗」という情緒的に重い言葉では表現していなかったのです。
常に新しいことを実験しているため、いきなりうまくいくわけがありません。その時は、「振り出しに戻って違う方法でやり直してみよう」と言っていました。「失敗」という言葉を避けていたのではありません。当然、本物の失敗はあるわけで、「失敗」はそうした大きな問題のために取っておいたのです。
状況をどう認識すべきかを、正確に表現するということですか。
失敗ではなく、「まだ問題を解決していない」だけだということです。こう捉えるのがなぜ大切かというと、ソフトウェア開発や映画製作など、プロジェクトが何であれ私たちがやっていることはとても難しい。だからこそ、関わっている社員が周りからいつも判定されているのではとビクビクしないようにし、目前の問題に集中できるようにする必要があります。
会社の中では他者の目を意識することがよくありますが、それは自分の見栄えを気にしているのと同然で、建設的ではありません。そこから解放する一つの方法が、ブレイントラストのように、コラボレートして他者を問題解決のプロセスに巻き込むことなのです。
スティーブ・ジョブズも反対意見を求めていた
ピクサーはクリエイティブな人材が集まった特別な会社です。一方、普通の会社だと達成すべき目標は売上げの数字だったりします。競争やいがみ合いが起こることも少なくありません。このような環境で起こるコンフリクトは、どのように扱うべきだと思いますか。
たしかに、これは非常に難しい課題で、たいていの会社ではヒエラルキーやへつらいなどが問題解決の前に立ちはだかって、しくじってしまうように思います。私はテクノロジー業界で55年も仕事をし、あらゆる波を体験してきました。かつて隆盛したワークステーション開発企業は、いまや一つも残っていません。短期的な目標にとらわれたリーダーシップが失敗の原因です。リーダーは皆、長期的な視野に基づいて経営方針を決定していると口では言いますが、嘘っぱちです。長期的な地平に目を向ける能力と洞察力を持ったCEOは、稀な存在です。
正しい人材とよい製品、その組み合わせがうまく働いてこそ、企業は収益を挙げられます。そのためには、よい製品さえつくればよいというのではなく、マーケティングや販売なども含めて高度に機能する組織をつくらなければなりません。
経営トップは、未来への洞察を持つだけでなく、長期的な視点に社内組織の働きがうまく噛み合っているかを判断し続けなければならないということでしょうか。
そうです。社内にありながら、そうした洞察をどう得るのかが重要になります。ブレイントラストについて説明しましたが、これは映画製作のためのメカニズムです。ピクサーには、他の問題に対処する他のメカニズムもありました。そのうちの一つを挙げましょう。スティーブ・ジョブズに関わることです。
ピクサーを設立して9年後の1995年当時、スティーブは出会ったばかりの頃の彼とはまったく違う人間になっていました。1985年にアップルを追放され、1997年に暫定CEOとして復帰するわけですが、その間にさまざまな出来事を経て、多くを学んだのでしょう。
この年、先ほども述べたようにピクサーはIPOを果たしますが、公開企業となった後の10年間で、スティーブは役員会のメンバーを2人解任しています。その理由が、「自分の意見に逆らわなかった」からだというのです。「自分の言うことに同意してばかりだと、ピクサーに何も新しいものをもたらさない」と。そういう考え方は稀なものでしょう。
役員会はハリウッドやシリコンバレーの大物が集まる強力なもので、いつも緊張した議論が起こっていました。誰も「あなたは聡明ですね」などと、スティーブのエゴをくすぐるようなことは言わなかった。そんな必要はなかったのです。彼は自分の考え方を否定してくれる人物を探していたのです。
スティーブ・ジョブズは怖い人物だという伝説がありますが、ちょっと意外ですね。
スティーブが話していたのですが、コンピュータの次なる変革を起こすためにアップルでタブレットを出そうと考えていたところ、部下の副社長たちは携帯電話がいいと主張してひどい口論になり、結局iPhoneが発表されたそうです。また、iPhoneのアプリについては、部下たちがオープンなものにしたほうがいいと言っていたにもかかわらず、スティーブはアップルがすべて管理する閉じられたものとして発表しました。しかし、数カ月後に間違っていたとわかり、変更しました。
率直に意見を述べてスティーブに盾突いた部下たちは、誰もクビにされていません。自分と意見が異なる人間を雇える。これは、強さを持っている証拠です。そもそもCEOが何でもお見通しということなどありえません。
コンフリクトには、良いコンフリクトと悪いコンフリクトがあると思いますか。
コンフリクトという言葉には、ネガティブな意味合いがあります。戦争はコンフリクトです。それよりも、「意見が合わない」と言うほうが中立的で、なぜ起こっているのかの理由が解きやすくなります。
スティーブと私も、意見が合わないことがしばしばありました。私自身は議論好きではないので、彼と口論になることはなく、ただ意見に反対しただけです。スティーブは私よりも話すのも考えるのも速いのですが、だからと言って彼が正しいわけではありません。私たちの場合は、よく「また後で話そう」と先延ばししました。翌週会うまでに、次に言うことを考えておくのです。
そうして会って意見を言うと、たちまちスティーブに撃ち落とされるわけですが、再び延期するといったことが何週間も何カ月も続きます。そんなことを続けているうちに、私はスティーブの言っていることがわかるようになったり、反対にスティーブがこちらの言い分を理解するようになったりします。そして、問題の3分の1は解決の必要なしとなることもあります。そうした場合、結果的に社長である私がやりたかったように決断するのですが、スティーブはそれでよしとして、強権的になることはありませんでした。
とにかく、こうしたプロセスを踏むと、いろいろな側面を十分に話し合ったという意識は得られるのです。
外部の視点を入れるか リーダーを代えるか
作品の製作中に起きたコンフリクトや行き詰まりがよい結果を生んだという例はありますか。
映画製作では、たいてい道に迷います。そうした場合は、進路を変えるようなことが起きるものです。私はディズニー・アニメーションとピクサーの両方で社長を務めていましたが、この2社は分けて運営し、下請けとなって製作したり人材を行き来させたりはしませんでした。同じ業界なのになぜ分けるのかとよく聞かれました。この業界の変化は急速で、それに合わせるにはそれぞれ自分の方向性に自信を持ち、視点の違う二者がいるほうがよいというのが私の考え方です。アイデアを共有できるが、互いを脅かすこともない。これはとてもうまくいきました。
一つ例を挙げると、2015年に公開されたピクサーの『インサイド・ヘッド』の展開に関して行き詰まりが起きた際は、社内のブレイントラストでは何が間違っているのかが判断できませんでした。そこでディズニー・アニメーション側のブレイントラストに当たる「ストーリートラスト」に見てもらうことにしたのです。彼らは何が優れた助言で、それがどのようなタイミングで与えられるべきかがわかっている人たちです。
そのうちの2人が、問題を的確に指摘しました。主人公の頭の中に存在する5つの感情の一つで、それを擬人化したキャラクターである「ヨロコビ」(Joy)の描き方に問題がありました。
ヨロコビはあるアクシデントで、主人公の頭の中にある司令部の外に放り出されてしまいますが、彼女は戻ろうとするあまり、自分勝手に振る舞うように見えていました。その背景には「自分は必要とされている」という気持ちがありました。そこで得られたひらめきは、「ヨロコビがそこまで主張する必要はない」ということでした。どんな親も自分の子どもに幸せであってほしいように、誰もが主人公に喜びの感情を取り戻してほしいと願っているからです。そこを捉え損ねていました。その指摘に監督であるピート・ドクターはひらめきを得て、小さな変更をそこここに施して最終的にヒット作を生み出しました。
逆にピクサーのブレイントラストがディズニー・アニメーション側の作品を見ることもあったのでしょうか。
2016年に公開された『ズートピア』がひどい状態にあった時、ディズニー・アニメーションの社内ではあらゆる策を尽くしてもうまくいかず、意見も対立していました。そこでピクサー側のブレイントラストに助言を求めたところ、悪い動物たちが首に巻いている襟のせいで、街全体が嫌な雰囲気になり、取り返しのつかないことになっているとはっきり指摘しました。根本的にやり直しが必要だ、と。監督にとってみれば、部外者から顔を殴られたようなものですが、持ち帰ってすっかり再構成し、大成功につなげました。
ただし、状況は一作ごとに異なります。ピクサーが製作した2007年公開の『レミーのおいしいレストラン』は本当にひどい状態で、いらいらしながらやり直しを続けた時期があります。この時は監督を交代させました。新しい監督がやってきて大きく手を入れ、素晴らしい作品に仕上げましたが、それは当初の監督がこうしたいと言っていたのに近いものでした。しかし、監督や周りの人間は、その方向へ向けて問題を解決できなかったのです。そこで、新しい監督がちょっとした洞察を加えたことで、同じスタッフがまとまることができました。
製作の途中で洞察を注入することと監督を交代させること、そのどちらがよいのかという判断はどう行いますか。
映画製作にかかわらず共通することですが、新しいことに挑戦すると不可解な問題に数多く直面します。何が問題なのかを途中の段階では判定できないのですが、それでも判断を下さなければなりません。そうした時、一つわかるのはプロジェクトのリーダーがチームの信頼を失ってしまっているかどうかです。どんなにもがいていてもリーダーへの信頼が保たれ、そこに正しいスピリットがあれば、やり抜くことができます。しかし、チームが「彼ではできそうにない」と感じ始めたら、交代が必要です。
これは即座にわかることではないのですが、事前に警戒信号が出ています。私たちの仕事は、カーテンの裏からチームをサポートし訓練し教えることだというマインドセットでいますが、明らかにリーダーが信頼を失う時は、それが起こる前からだいたいわかるものです。
ただし、いきなり入れ替えをすると、次は自分が置き換えられるのではないかとチームに恐怖感を植えつけかねません。ですから、チームがなぜこれほど長い間放っておいたのかと感じるくらいのタイミングで行うことが少なくありませんでした。他のプロジェクトへの影響も鑑みながら、恐怖心がすべてを台無しにしないように配慮しました。
社員同士がどう働いているのかに注意を払う
そうしたさまざまなことを感受するアンテナは、どのように鍛えたのですか。
お答えするのが難しい質問ですね。そもそも私は博士号を取って大学院を卒業した時、自分を技術者と認識していました。ただ、学んだ環境は最高のものでした。指導に当たったアラン・ケイやアイバン・サザーランドはいずれもチューリング賞を受賞した優れた研究者で、研究室では、人材こそが重要で、課題は次の問題を解くことだという共通意識がありました。同じことを教員として5年間在籍したニューヨーク工科大学で試しましたが、うまくいったこともあればそうでなかったこともあります。ただ、周りの人たちが友情というより尊敬の念で関わってくることを興味深く見ていました。
その後、ルーカスフィルムへ移るわけですが、教員としての5年間を振り返ってみると、私のアイデアのうち半分はジョージ・ルーカスが雇ってくれた理由を証明するような非常に優れたものである一方、残りの半分はナンセンスでした。そこで思ったのです。正確に計測する術はありませんが、この半々という割合はおそらく一生同じだろう、と。この経験から、自分が思う以上に自分は間違っているのだと理解することが大切だと感じました。
その後、経験を重ねていくにつれて、組織が持つ心理的な側面には驚異的な力があり、だからこそ成功するには関わる皆が一緒にうまく働かなければならないと理解しました。そうすると私の役割は、社員がともにどう働いているのかのダイナミクスに注意を払うことになります。どの企業も最高の人材を雇っていると口では言うでしょう。ただ、最高の人材を集めただけでは不十分で、彼らが一緒にうまく働けなければならないのです。そうして私は、自分の役割を再定義しました。
ブレイントラストもそうですが、キャットムルさんは、ピクサーにおいて会社を存続させるメカニズム自体を考案されていたのだと感じます。
そう思います。製品であれ映画であれ、企業は何かをつくるわけですが、製品がいつも変わり続けるように、会社も人間もリインベント(再発明)し続けなければなりません。変化しているのはテクノロジーだけでなく、人間も家族を持ち、年を重ねるなど変化し続けています。変化を捉え、自分の行いについての洞察をどう得るか。これは意識的に行うべきことです。
しかも現在は変化が加速度的に速くなっています。ニューラルネットワーク、大規模言語モデル、生成AIといった多様な要素が出現し、それが良い結果も悪い結果ももたらすでしょう。予想がつかなくても、そして望むか否かとは無関係にやってくる。どうせやってくるのならば、取り組んだほうがいい。
しかし、ドラマティックに変化する相手とどう取り組むのか。それは受け入れ、学び、注意を払い、変化する世界とどう向き合うのかのメカニズムを考えることによってしかありえません。メカニズムを考えずにいたら、向こうからやってくるものの正体が何であれ、その群れに踏み潰されるだけです。
さまざまな意見を取り入れる組織文化をつくり続ける
日本では、特に若い世代の間でコンフリクトを避ける傾向があります。どのような解決法があるでしょうか。
米国でも違いはあれ、同様のことが起こっています。またいま見られる世の中の分断は、これまで経験したことがないほどひどいものです。すぐに金持ちになることだけに力をそそぐ企業トップも少なくなく、それが社員だけでなく教育におけるマインドセットや価値観も変えています。リーダーができるのは、問題解決に外部の視点を取り込むメカニズムをどうつくるのかを考えることでしょう。
ピクサーでは、新入社員に自分も企業文化の担い手だと感じさせることで、新たなことに挑戦できるようにしました。担い手であるからこそ、自分の価値にそぐわないことは好きではないと率直に言えるわけです。
ピクサーのこうしたプロセスは、映画製作を始める前から考え始めていたものです。いまではヒット作品を出し続けるスタジオとして知られますが、当初は技術者らの中にアーティストが一人いただけでした。アーティストは増えましたが、技術者とアーティストは文化的に対等な立場にあることが必要で、私たちはそれに成功したのです。そもそも二者を区別することは意味がなく、皆が才能ある人間であり、その間でアイデアが自由に共有されました。
そういう文化をつくったわけですが、それをどう保つのか。私たちは正しいところに行き着いたとは考えていません。すべては変わり続けているので、どこかに到着するということ自体、ありえません。だからこそ、いつも文化をつくり続け、いつも注意を払い続けているのです。
【注】
Ed Catmull and Amy Wallace, Creativity, Inc.: Overcoming the Unseen Forces That Stand in the Way of True Inspiration, Random House, 2014.(邦訳『ピクサー流 創造するちから──小さな可能性から大きな価値を生み出す方法』ダイヤモンド社、2014年)
(C)2025 Diamond, Inc.
PHOTOGRAPHER HIROYO KANEKO
エド・キャットムル(Ed Catmull)
ピクサー・アニメーション・スタジオ共同創業者、元ピクサー・アニメーション/ディズニー・アニメーション社長。コンピュータグラフィックス分野における功績に対し、ゴードン E. ソーヤー賞を含む5つのアカデミー賞を受賞している。ユタ大学でコンピュータサイエンスを専攻し、博士号を取得する。共著書としてCreativity, Inc. : Overcoming the Unseen Forces That Stand in the Way of True Inspiration, Random House Canada, 2014.(邦訳『ピクサー流 創造するちから──小さな可能性から大きな価値を生み出す方法』ダイヤモンド社、2014年)がある。
[聞き手]
瀧口 範子(Noriko Takiguchi)
ジャーナリスト
巻末付録の一部を期間限定でプレゼント

・人を採用するときには、そのときの能力レベルよりも、これからの伸び代を重視すべきである。今できることより、将来できるようになることのほうが重要である。
・会議室より廊下で真実が語られているとしたら、会社として問題がある。
※特典PDFの無断転載、販売は固くお断り申し上げます。
[著者]エド・キャットムル、エイミー・ワラス
[翻訳者]石原薫
[内容紹介]『トイ・ストーリー』『モンスターズ・インク』『ニモ』などヒット作を生み出したピクサー共同創設者であり、ディズニー・アニメーション・スタジオの再建も担ったエド・キャットムル氏。彼がピクサー流アイデアの育て方、創造的組織づくりの秘密を語る。
本書の「あとがき:私の知っているスティーブ」では、同氏が知る本当のスティーブ・ジョブズの姿、そして亡くなる直前のエピソードも掲載。「良いアイデアより、良い人材。独創的なアイデアは天才的なひらめきだけでは成り立たない」「ひとりの天才に頼るのではなく、チーム/組織としてクリエイティブになる」……400ページを超える大作ながら、夢中でページを繰るうちにさまざまなインスピレーションが得られる1冊。




