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同じフィードバックでも異なる結果を生む
定例の製品レビュー会議で、昇進したばかりの副社長が、納期に遅れたプロジェクトを取り上げた。そして、分析が拙速で、重要な前提条件が検証されておらず、最終的な提言は精査に耐えられなかったと結論づけた。
会議の後、副社長はプロジェクトに携わったチームメンバー2人と個別に面談し、それぞれに同じメッセージを伝えた──今回の仕事は期待された水準に達していない、アプローチを見直す必要がある、と。
メンバーの一人は指摘を前向きに受け止めた。どこで自分の考え方に問題があったのかを尋ね、データを見直し、数日後にはより明確で説得力のある分析を携えて戻ってきた。しかし、もう一人は萎縮してしまった。その後の数週間、会議で発言することが減り、同じような仕事で中心的な役割を避け、自分の考えに疑問を呈されると目に見えて防御的な態度を取るようになった。
同じフィードバックを、同じ上司から受けたが、結果は異なるものだった。
多くの経営幹部は、この違いを性格の問題として説明するだろう。立ち直る力がある人や学習意欲が高い人、指導を素直に受け入れる人もいれば、そうではない人もいる、と。しかし筆者らの研究によれば、こうした説明は、もっと直接的で、かつ実践的に対処できる要素を見落としている。それはフィードバックが引き起こす感情の反応である。
フィードバックは学習を促さず、感情が学習を促す
シニアリーダーや彼らが育成するマネジャーは、明確で具体的かつ建設的なフィードバックを行う訓練を受けている。しかし、いかに適切に伝えられたフィードバックでも、それだけで学習につながるとは限らない。
筆者らは10年以上にわたり、失敗からの学習について研究してきた中で、一貫したパターンを見出した──人はフィードバックを受けただけで学ぶわけではないのだ。失敗が学習の機会になるかどうかは、フィードバックが引き起こす感情の反応に大きく左右される。そして、その感情が、人が学ぼうとするか、それとも萎縮してしまうのかを決定づける。
フィードバックを受けた時、人は単に情報を処理しているのではない。その意味を解釈しているのだ。多くの場合、無意識のうちに次のような問いを自分に投げかけている。
・「自分は何か間違ったことをしたのか」
・「もっとうまくできたのではないか」
・「これは自分の評価にどう影響するのか」「他に誰が影響を受けるのだろうか」
・「心配するほど重大なことなのか」
こうした問いへの答えが、その後の感情的な反応や、注意がどこに向かうかを左右する。注意が仕事に向けられたままなら、分析し、修正し、改善しようとする。一方、注意が自分自身に向けば、防御的になったり、消極的になったり、意欲を失ったりする。







