AIが「線」を描く時代、人間だけに残る仕事

 セッション後半、議論の焦点は「AI・人・組織」へと移った。生成AIが、これまでの「点」のデータ分析を超え、「線」(ストーリー)を描けるようになりつつあるいま、人間に残される役割は何か。倉橋氏のその問いに、柳川氏はこう語った。

「AIが学習しているのはすべて過去に起きたことです。デジタル化されていない情報やアナログの経験といったものは、まだ完全にAIには取り込まれていません」

 現場でのアナログな経験値から見えてくる将来の顧客像や、その潜在的な可能性、嗜好などは、まだ十分にデータ化されていない。「皆さんの頭の中に蓄積されているアナログ経験こそが、人間の強みになってくるはずです」と会場を鼓舞した。

 働き方についても議論が及んだ。AIに単純作業を任せられるとしたら、そこで生み出された時間的・精神的余裕をどう使い、付加価値を創出するかが問われる。柳川氏は、その余裕を「新しい工夫やアイデアを積み重ねる創造性の発揮」にこそ使うべきであり、「過去の経験やアナログな知見を活かし、少しでも創造的なことを考える姿勢こそが重要」と説く。創造性は突拍子もないところから生まれるのではなく、仕事の経験値の中から芽生えるものだからだ。

倉橋健太
プレイド 代表取締役 CEO
2011年にプレイドを創業し、代表取締役CEOに就任。2020年に東証マザーズ(現東証グロース市場)に上場。プレイドグループとして、大手企業を中心に支援企業は1000社を超える。『カスタマーセントリシティ』(ピーター・フェーダー著)を監訳。

 倉橋氏はさらに、日本企業がAI活用で十分な成果を出せていない構造的な原因に踏み込んだ。柳川氏は、業績評価や人事制度を含めた組織全体の改革の必要性を指摘する。「日本企業は失敗を回避する文化が根強く、安全で確実な道を進みがちです。それでは、新しいデータを手にすることはできません」。もっと実験的、挑戦的な活動ができる人事体制や経営戦略が求められる、と柳川氏は語った。

 データとAIをフル活用し、カスタマーセントリシティを体現する流れは、今後どこから生じると考えられるか。倉橋氏のこの問いに対して、フェーダー氏は2つの異なる起点を挙げた。1つ目は、データを真に理解し、新しいアイデアを即座に実行できる、小規模なテクノロジー企業だ。そして2つ目は、金融や投資の最前線である。

 投資家の間で最近、「顧客ベースの企業価値評価」(Customer-Based Corporate Valuation:CBCV)への関心が急速に高まっている。これは従来の財務諸表だけでなく、企業の持つ顧客データから将来の企業価値を算定する手法である。フェーダー氏のもとには、プライベートエクイティファンドなどから、「この企業の持つ顧客データを使って、将来の真の価値をどう見極めるべきか」「買収した後に、どのようにしてより効果的に事業を運営し、価値を再構築すべきか」といった問い合わせが増えているという。

 そしてフェーダー氏は、「これら両極からの動きを融合させ、伝統的な大企業へと波及させていくプロセスが最も重要であり、特に日本市場においてはそれが最大のカギになるでしょう」と指摘した。

「日本の顧客パラドックス」とは何か。どう乗り越えるか

 議論の終盤、焦点は日本市場ならではの強みとリスクへと移った。柳川氏は、メンバー間で暗黙知を深く共有しながら進めるチーム活動を、日本企業の大きな強みとして挙げる。顧客との間に築かれる長期的な関係性や相互の信頼関係も、際立った特徴だ。

 ただし、その強さは同時にもろさも抱えている。日本市場にはサービスへの期待値が非常に高い顧客が多く、対応を一つ誤るだけで、長年築いた信頼を大きく損ねかねない。「データが可視化される時代だからこそ、データだけを見て対応してしまいがちですが、むしろそうした時代だからこそ、データに表れない血の通った顧客対応こそが決定的な差別化要因になります」。特にロイヤルカスタマーとの関係においては、期待値を適切にコントロールすることが欠かせないと柳川氏は語る。

 フェーダー氏はここで、議論を通じて見えてきた新たなキーワードとして、「日本の顧客パラドックス」を提示した。「これは、すべての顧客を常に満足させようとするあまり、かえって極端に短期的な視点に陥ってしまう状況を指します」。目の前の一人ひとりに手厚く応えようとすること自体は、日本企業の強みでもある。だがそれに追われるほど、中長期の戦略が描けなくなる。顧客が絡まない経営計画や管理実務においては、日本企業は長期的な視点を持っている。目先の顧客対応と、長期的な経営視点。この2つをどう両立させ、針の穴に糸を通すか。それがパラドックスを解くカギになる、とフェーダー氏は語る。

 顧客を長期的な資産として捉え、その戦略を財務報告などの長期的なプロセスと文字通り結びつけていくこと。それは、セッション後半でフェーダー氏が挙げたCBCVが、単なる投資家向けの評価手法ではなく、この日本の顧客パラドックスを解くための道具でもあることを意味する。簡単ではないが、企業に計り知れない価値をもたらす挑戦だ、とフェーダー氏は結んだ。

 最後に、倉橋氏はセッション全体を「結果→可能性→活動」というサイクルとして整理した。購買データなどの既知の「結果」だけを見て顧客をカテゴライズすれば、その裏にある「まだ見ていない可能性」——本来なら優良顧客となりえたはずの見えない存在——を取りこぼしてしまう。

 結果データだけでなく、各接点における顧客の行動データなどを加味し、顧客の意図をより高い解像度で把握することで、結果に表れていない顧客ニーズ、すなわち“可能性”をすくい上げ、それを次の活動に活かすことができる。だからこそ、企業はみずからの業務や活動のあり方を見直す必要があり、「それが新しい結果を生む」。そう述べたうえで、倉橋氏は次のように結んだ。

「『自社にとって価値の高い顧客は誰か』というカスタマーセントリシティの問いは、『自社にとって価値を創るデータは何か』という本日のX DIVEの問いと、同じ本質を共有しています」

 すべての顧客を平等に扱うのではなく、自社ならではの戦略的選択を、データと意志によって行うこと。それこそが、AI時代に企業が「価値を創るデータ」を見極めるための出発点といえよう。

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