なぜグローバル人材は育たなかったのか?

 1980年代以降の急激な円高を背景として、日本企業はグローバル化を進めた。しかし、現状をつぶさに見てみると、グローバル化は、「場としての展開」にすぎず、世界全体を俯瞰した経営決断や統治がなされず、さらには「最適な場所においてベストの選択がなされている」わけではないことがわかる。

 それを端的に物語るのが、グローバル人材の育成だ。「グローバル人材」というと、日本企業では、ある種のスキルを持つ日本人を育成する取り組み、と考えられてきた。なぜならば、グローバル化とは言っても“出先”をいかに管理していくかに経営の主要な課題があったからだ。

 しかし、いま問われているグローバル化とは、事業活動の軸を、シュリンクする国内市場から世界の成長市場へと移すための経営や統治の確立、言葉を換えれば「企業としての変身」である。土地勘のなかった地域や市場で、価値を提供するための戦略を立案・実行する能力と、そのためのノウハウをどのように開発・蓄積するかが重要になってきている。

 それを人材という観点から見れば、国籍や性別などを問わず、世界で活躍できる人材を採用し、若い人を海外に出して活躍させることに尽きる。

 実は、日本企業にもグローバル人材の育成のために、積極的に若者を海外に送った経験がある。自動車や電機産業などでは、1960年代頃から若い人を海外に出し、日本製品の定着のために努力させていた。そして彼らは、「MADE IN JAPAN」という日本ブランドの確立に貢献した。

 ところが、日本の国内市場が成長期であったこともあり、先駆者となった海外派遣組に蓄積されていたノウハウは、あくまでも出先のノウハウとされてしまい、企業自身のグローバルノウハウにはならなかった。そしていま、先駆者たちの成功体験と、グローバル化の流れで求められているものの間でもギャップが拡大し、ここ20年間の世界の動きに対する認識や情報分析は、古臭いままで、更新されてこなかった。

 現在の世界は、インターネットや情報通信技術によって境がなくなっているものの、その底流にある本質的な意味はまだ誰にもわからない。確かに、世界は見える化された。しかし、断片的な情報をとらえることと、その背景にある世界を変える力を理解しようとすることとは別の問題だ。

 現在の日本企業は、自身が世界を見に行こうとしていない。見もせずに的確な対応を取ることができないのは自明の理だ。こんな簡単なことすらできていないのである。残念ながらグローバル企業に変身するという、いま直面する課題を理解できていない人たちが、グローバルな人材について考えている状態だ。

 

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