このような青と緑の組織の違いが、各組織で育つリーダーの人材プロファイルの違いを生み出す。設計図のコンテンツを書き換えて、諸事を変えていくという作法が習慣化している青の組織では、自ら変革の設計図を書いて、それを人々に説得力をもって語りかけ、変革をリードする役割を演じる機会がふんだんにあり、そういう機会が変革リーダーを発掘・育成するものとなる。そこでは設計図が変革ドラマの台本として機能する。
緑の組織では、ウエイトの大きい文脈の変化が変革の前提条件となるが、文脈の変更は誰かがデザインするわけにはいかない。変革の台本を書いて変革をリードする機会は乏しい。
もっとも、大きな危機になれば、文脈の変更という曖昧で時間のかかる方法を採っている余裕がなくなり、外科手術的に変革の台本を書いて変革をリードする必要性が高まるため、文脈のくびきを脱して、変革リーダーが現れる可能性は出てくる。あわせて文脈の中核部分を構成する人的関係や権力構造にもメスを入れる必要もでてきて、そのためにも外科手術的な台本が必要となる。
ただそういう場合も、いきなり初演で危機打開の変革リーダーの大役をになうのだからつらい。万一、変革に成功しても、それは中興の祖的な類稀な本人の資質と強運という例外的僥倖にとどまり、のどもと過ぎればまた文脈が支配する緑の世界に戻る。それはリーダーが自ら語りかけるという台本不在の無言劇の世界であり、青の組織における変革リーダーシップを磨く機会とは無縁の空間である。
「文脈」の持つ意味の違い
次に、設計図の文脈について説明しよう。文脈が重要な緑の組織における文脈をひも解くことで、それの正体を解明してみたい。
それは、一言で言えば、長期的に雇用される「同じような人々」が形成する文脈である。もう少し詳しく言えば、文脈に蓄えられたさまざまな情報であり、その情報にはそこでの慣習や状況に応じたルールや定石、現場主義やすり合わせといった諸活動の特徴から生まれる空気などさまざまなものが含まれる。
残念ながら、文脈はめったに文書化・形式知化されずに暗黙知として存在するものなので、文脈自体の定義をメンバーが確認しあうことはまずない。だからそういう文脈に対してみなが同じ理解をしている保証は全くない。
にもかかわらず、ある人が文脈に合わない発言をしたり行動をとったりすると、その場に居合わせる緑の人々が一斉に白い目を向けて、場の空気が変わり、その発言や行動は封じ込められる。つまり、文脈には行動を制御するルールが刻まれているが、それは空気のような無言の暗黙ルールである。だから言葉では表現しにくいのであるが、その暗黙ルールはものごとを動かそうとすると敏感に作動する。
例えば、設計図のコンテンツ部分を書き換えて、既得権や調和を崩して人的文脈を変えてしまうような青色変革の動きを迫られると、たちまちこの文脈・空気が作動し、変革の動きを真綿に包むがごとく押し殺してしまう。緑の組織にとって文脈は、これほどの重さを持つのである。
青の組織にも人的な文脈はもちろん存在するがその陰は薄い。青の組織では、文脈になるべく頼らず、文脈を知らずとも、設計図のコンテンツをフルに活用することで仕事を進めるというのがお作法である。