論文の冒頭でレビットは、「いずれの場合も成長が脅かされたり、鈍ったり、止まってしまったりする原因は、市場の飽和にあるのではない。経営に失敗したからである」と断定し、具体例として鉄道会社と映画会社のケースを取り上げる。
映画の都ハリウッドは、テレビの攻勢による破滅からかろうじて踏みとどまっている。(中略)映画会社が危機に陥ったのは、テレビの発達によるものではなく『戦略的近視眼』のためである」
Hollywood barely escaped being totally ravished by television. …… All of them got into trouble not because of TV’s inroads but because of their own myopia.
Marketing Myopia, HBR, July-August 1960.
「マーケティング近視眼」DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー2001年11月号
(1960年度マッキンゼー賞受賞論文)
『T.レビット マーケティング論』(ダイヤモンド社)第1章
鉄道会社と映画会社は自らの事業を、それぞれ「鉄道事業」「映画制作事業」と定義している。その衰退は、事業を狭く定義してしまい、「輸送産業」「エンタテインメント産業」とは考えてこなかった「近視眼」にあるとレビットは喝破する。
輸送産業と考えれば、鉄道ビジネスだけに固執することなく別のサービスを提供でき、鉄道会社にはまだまだ成長のチャンスはあった。エンタテインメント産業としてならばハリウッドはテレビの出現を自らのチャンスにできた。しかし、両者共、衰退の要因を市場の飽和に求めたり、新たな動きを嘲笑して拒否したりと、近視眼から脱することができなかった。
さらにレビットは、製品偏重主義の例として、馬車のムチ製造業の例を紹介する。いくら製品改良を試みても死の判決から逃れられなかったが、もし事業を馬車のムチ製造ではなく輸送事業ととらえていれば生き残れたかもしれない。
こういう発想、切れ味のよい言い方こそ、レビットの本領だ。
そのうえで、明らかにチャンスを逸した場合でも、顧客中心の経営を徹底すれば、成長産業であり続けることができる例としてデュポンとコーニングを紹介する。両社の成功要因は、製品志向やR&D志向であると同時に、顧客志向に徹していたことだという。ここにレビットは、「製品中心ではなく顧客中心の視点」というマーケティングの本質についての定義を示すのである。