トップメーカーは模倣者ばかりである

「いわゆる『新製品』が多くの人の目に留まるのは(略)、それが新鮮であるからではなく、あくどい模倣者の数が多いからである。消費者が気づく新製品は通常、模倣なのである。すでに時間が経った後の新しさであって、革新的でタイムリーなものではけっしてない」
By the time a so-called “new”product reaches widespread visibility, (略)Its visibility is less a consequence of its actual or temporal newness than it is of the number of its strident imitators. The newness of which consumers become aware is generally imitative and tardy newness, not innovative and timely newness.


『模倣戦略の優位性』の冒頭で、レビットはまず、このように書いて模倣についての読者への問題喚起を促すと同時に、模倣戦略における基本的な視点を提供する。

 周囲をさっと見渡しても、トップメーカーである企業がイノベーターではなく模倣者であったことは簡単に確認できる。“コンピュータの巨人”IBMは、パンチカード式からプログラムを記憶装置に格納して計算を行う「ノイマン型」に軸を変えることで多目的コンピュータの標準をつくり上げたし、ソニーもトランジスタラジオや半導体を自ら開発したのではない。最近の例では、携帯音楽プレーヤーといえば誰もがアップルの〈iPod〉を代名詞として認めるが、携帯という意味ではソニーの〈ウォークマン〉が、メモリースティックやハードディスクの利用ではクリエイティブ・テクノロジー〈NOMAD〉がイノベーターであった。しかし〈iPod〉は、〈iTunes〉という音楽配信システムと連動させることで圧倒的なシェアを獲得した。

 私たちが「先発」と思っているものは、実のところ先発とは限らないのである。

 そのうえでレビットは、新しい画期的な製品が定着するには“群団”が必要であると言う。先の引用では「あくどい模倣者」と表現しているが、これは少し偽悪的な書き方で、追随する者がいなくては、どんなにイノベーティブな製品であっても世の中に定着することはない。逆に言えば、イノベーターだけでは製品を市場に定着させることはできず、先発者だけならば討ち死にが待っているだけである。

 さらに言えば、本当の先発者は、後発者の追随によって自らの画期的な製品を世に知らしめることはできても、競争という視点ではほとんどが敗北しており、画期的な製品からもたらされる利益は、後発者たちが手にしているのである。

 IBMしかり、ソニーしかり、アップルしかり。パナソニックと社名を変えた旧松下電器が、かつて「まねした電器」と揶揄されながらも、後発者として確実に利益を手にして、世界企業へと躍進してきたのも、またしかりである。

 企業、特に技術者にとっては、イノベーターであることが究極の目標であり、喜びであるだろう。しかし、ある特定の企業がいつもイノベーターであり続けることは不可能であるし、ありえない。それは野球のピッチャーが、直球ばかりを投げ続けられないのと同じだ。抜くときは抜く、カーブやシュートも織り交ぜなければ勝利投手にはなれない。

 レビットは、イノベーションをめざす企業風土の大切さや重要性を理解しつつも、「業界のイノベーターたらんとして、身を粉にして努力し続けることの危険性を認識すべきである」とさえ言う。

 あるときはイノベーターであり、あるときは模倣者でもあるという現実を冷静に見据え、イノベーションと模倣という2つの戦略バランスを考えるべきで、そうでなければ組織の持続的な成長も得られない、と指摘するのである。