現代ブロンド論が確立し始める20年も前に、レビットはブランドと小売チャネルとの関わりやブランドの資産性を指摘した「Branding on Trial(岐路に立つブランディング)」を発表している。個々の企業の問題として論じられがちなブランドをマクロ経済、経済全体、公共への波及と拡大といった大きな視点で論じる秀逸な論文だが、彼の先見性に時代が追い付けなかった。そのせいで埋もれてしまった、レビットの主張を再読する。
ブランド価値を認めない政府姿勢に抗する
Branding on Trial, HBR, March-April 1966.
『T.レビット マーケティング論』(ダイヤモンド社)第6章
『Harvard Business Review』の1966年3・4月号に掲載された「Branding on Trial(岐路に立つブランディング)」を読むために、事前に頭に入れておいてほしいことがある。それは、論文が書かれた当時の時代背景だ。
原題の「on trila」は、邦訳では「岐路に立つ」としているが、直訳では「試される」を意味する。ブランドというものの価値が試される裁判が進行している時に、レビットはこの論文を書いた。
その裁判とは、連邦最高裁判所を舞台にしたボーデンとFTC(連邦取引委員会)との間の係争だ。
FTCは、乳製品を中心とする食品メーカーのボーデンが自社ブランドのエバミルクに、中身が同一のプライベート・ブランド(PB)製品よりも割高な価格を設定し、「PB製品の入手を事実上、一部の消費者のみに制限した」として提訴した。FTCの主張はこうだ。「PB製品とブランド製品には等級や品質面の違いはなく、ブランド名がついているからといって価値はない」。つまり、PB製品をブランド製品よりも安く販売しているために競争が阻害され、違法な価格差別に当たるというのだ。
当時、この裁判のほかにも、フランチャイズ店や販売代理店といった流通に対して、ブランド所有者はどのような権利を有するかという裁判が相次いで提訴されており、レビットは「ブランド」を擁護する立場から、この論文をまとめている(ちなみにFTCとボーデンの裁判は、ボーデンの主張を認め、上級審の判決を破棄して差し戻された)。
このような動きを背景にしているのがレビットのブランド論なのだが、現代のブランド論と比較すれば古さを拭えない。しかしながら、「さすがレビットだ」と唸らせられる先見性や説得力に満ちた論理構成があり、それを知るだけでも十分に読むに値する論文である。
たとえばレビットはこの論文で、<1>ブランドは、企業とって「価値あるもの」であるという視座をいち早く明確にし、<2>ブランドが持つ社会的な効用を当時のソビエト連邦で起きていた現象に着目してわかりやすく説いている。
当時のアメリカでブランドが置かれている状況へのレビットの考えと、それを考える一手段としてソ連で起きている現象を素材にして語るという論文の姿勢を示したのが、冒頭の一節なのだ。