ブランド確立と小売チャネルの相関にいち早く着目
ブランドをめぐる研究は、第2次世界大戦後から活発になったが、現代のブランド論の中枢を成す「ブランドは、ヒト・モノ・カネ・情報と並ぶ第5の経営資源(資産)」であるとの考え方は、アメリカ最大のマーケティング学会である「MSI(Maeketing Sience Institute)」の1988年のカンファレンスで提起されたものだ。
この提起にあたっては、マーケティング学者だけでなく現場での実践者、投資銀行家、金融理論の専門家などによってチームが組まれて理論構築が進められ、「Defining,Measuring,and Managing Brand Equity」と題して問題提起された。つまり、ブランド資産を特定し、測定し、管理する。この時に初めて、現代ブランド論の常識となる「Brand Equity」、つまりブランド資産という考え方が登場する。
その後、90年のカンファレンスでブランド・エクイティが議題になり、関連課題の議論が進む。これらの議論を整理、体系化したのが91年に出版されたデビッド・A・アーカーの『Managing Brand Equity』である。94年に邦訳(『ブランド・エクイティ戦略』ダイヤモンド社)が出版されると、日本でも急速にブランド論に関する議論が活発になっていった。
したがって、レビットが論文を書いた66年当時は、まだブランド・エクイティという概念はなかった。しかしレビットは、「商標以上の価値」という発想でブランドの資産性を読み取っていた。90年のカンファレンスの提起から実に20年以上も前のことである。
レビットはまず、「ブランドがいかに役立つか、社会的にどれほど望ましい役割をはたしてきたかを紹介する。近年は政府による規制や法律のせいで、無情にもブランド・マーケティングに存亡の危機が迫っている」と、論文をまとめた狙いと動機を語る。危機とは、裁判所のブランドについての否定的な判断が相次いでいることである。
次いで、「ブランドの評価をいかに保つか」と題して、商標やブランドの持つ力を定義するのだが、レビットの卓見は、ブランド価値を保つには小売チャネルとの関係の維持、小売チャネルに対するブランド保有者側の権利と管理の重要さに注目していることだ。
たとえば、派手な広告宣伝を行えない小企業にとっては、小売店から後押しを得られるかどうかがブランド価値を維持する生命線となり、そのうえで、メーカーにはブランドや製品の評判を守るために小売店や流通業者との取引を拒む権利が認められると断言している。
なぜならば、自らの生き残りのためにブランド製品を安売りするような小売店が出現すれば、ブランド価値は低下し、それは同様に他のブランド保有者にも波及して業界全体の活力を削ぐことになってしまうからだ。にもかかわらず、そのような小売店から自社製品を引き上げることを認めないように法律で縛るのは、公平性や良質に欠けるのではないか、と強調する。
現代ブランド論でアーカーと双璧をなすケビン・レーン・ケラーが98年に出版した『Strategic Brand Management』(邦訳『戦略的ブランド・マネジメント』東急エージェンシー)には、「連想」というキーワードが挙げられている。ブランドには2つの連想があり、1つが商品名から消費者が思い浮かべるもの(ペプシならペプシマン)、もう1つが「2次的連想」だ。ここに、店舗という要素がある。
簡単に言ってしまえば、日本の消費者が「三越や和光で売っている商品ならばよいものだろう」と感じることである。小売店には小売店のブランド力があり、それが売られている商品に移転する、というわけだ。
いまでは当たり前の考え方だが、60年代には、こうしたブランドと小売チャネルとの関わりは誰も想像していなかった。レビットは、それを考えていたのである。
しかし時代の流れは逆行している。冒頭に紹介したボーデンとFTCとの裁判でも、FTCは、「ブランドは商品の価値を規定しない」と主張し、ブランドの役割を否定することを前提にしている。それに対抗するかのようにレビットが訴えたのが、冷戦時代にあってアメリカにとっては仮想敵国であったソ連で起きているブランドをめぐる動きだった。