コンセプトと記号を結び、数とは何かを知るツール

石倉 数の概念がわからないのに、「2足す3はいくつ」と先走ってやりたがる母親の話は、示唆に富んでいると思います。他の分野でも、たとえば食品をいくつかのグループとして考えるというような場合、なぜ野菜と果物というグループに分けて考えるのか。国内産、輸入品などというグループに分けることもできるのではないか。つまり区分する基準が変われば、グループ自体も中に入るものも変わるということを教えないで、みかんは果物、キャベツは野菜とそれぞれの箱に入れてしまうというのも、同じようなことだと思います。これでは、新しいものが出てくると、混乱してしまう。
 具体的な物と、それを表している記号や名前との間をつなぐルールや基準、背景がわかれば、思考に広がりが生まれます。だけどいまは、間のメカニズムや基準を飛ばして、これとこれをつなげちゃおうという安直なことを繰り返しているから、ちょっと問題がややこしくなるとどうしてよいか、途端にわからなくなってしまう。

 つまり、算盤とは、「数というコンセプトを目で見て理解するツール」なんだと思うのです。コンセプトは考え方で、記号はコンセプトを象徴しているにすぎません。3は3つという「数」のコンセプトを表す記号であるだけです。似たようなことは、「かな」と「漢字」にもありますね。「かな」は記号にすぎないけれど、表意文字である「漢字」はコンセプトを示します。「もり」と示されてもわかりにくいけれど、「森」と書けば木がたくさんある場所とわかる。算盤も漢字のようにコンセプトを目で見て理解できる手段と感じます。

藤本 アルファベットは記号ですから、いくら眺めても全然わからない。その点、算盤は、やはり優れたツールです。「10はどう書きますか」と聞けば、「1と0です」となりますが、算盤を見てもらうと桁が上がると1つ左に珠が1つ増え、右側は何もない。つまり「10」になっているのです。その要領がわかると数字がどんどん読めるようになります。小学校4年生ぐらいになると、「1万が7個で、1000が2個で、100が9個だと、読み方は」という課題があるのですが、これが結構難しい。しかし算盤ならば、見えた通りに読み上げていけばいいので、なんら難しくありません(図3参照)。

石倉 算盤は2進法もできるんですか。

藤本 ある数学者の先生から、「2進法を学生に理解させたいから上の珠だけの算盤をつくってほしい」と依頼されたことがあります。現在の算盤は4つ玉なので10進法に適していますが、昔の中国の算盤が上に5珠が2つ、1珠が5つあったのは、当時わり算は「割算九九」を使っていたため、多くの玉が必要だったのですね。

石倉 なるほど、10進法に慣れると、2進法を会得するのはなかなか厄介ですが、算盤という道具を使ってコンセプトをどんどん身につけましょうということですね。目で見て、触り、それで考え、背景を知る。

藤本 MITメディアラボの石井裕先生が「算盤はいろいろな感覚を刺激するので、タンジブル(tangible)だ」とおっしゃってくださっています。五感に訴えるので、いろいろなセンス(視覚、触覚、聴覚など)を使って新しいアイデアを生み出す。算盤をハードではなく、ソフトの側面から位置づけてみましょうと。また、アメリカの南カリフォルニア大学におられた故レオ・リチャード博士という数学者が、「速く計算するのではなく、数をどのように理解するかを体得するために非常に優れたツールだ」と算盤を評価してくださり、学内にセンターもつくってくださいました。そのご縁で、全米の数学者が集まる会議でプレゼンをしたこともあります。細かい計算よりも、万と万を掛けると億になるといった概数力をどう育成するか、という点で算盤が果たす役割が注目されました。