ハードの復活ではなく、ソフトとしての算盤の効用
石倉 藤本さんが社長に就かれたのが1985年(昭和60年)で、算盤がまさに衰退期に入った時ですね。
藤本 そうなのです。先代は、根っからの算盤職人だったので算盤というハードをつくることしか考えていませんでした。でも、私は何をすべきなのか。「これからどうしていけばいいのか」とすごく悩んだ末、何とか、たどり着いたのが、「算盤のソフトを守り、その存在意義に道を見出す」というものでした。
石倉 ハード、「もの」としては極限まで研ぎ澄まされているから、別の活路を見つけ出そうということですね。
藤本 日本製の算盤はいまや伝統工芸ですから、価格では中国製などには対抗できません。100円ショップにあるのは、みな中国製です。ですから、ハードで勝負しても勝ち目はない、それでは「算盤の精神」とか「算盤の効用」みたいなもの、ソフトな側面を考えられないか、打ち出せないかと思ったのです。しかし、なかなか思うようにはなりませんでした。小学校で時間をかけて教えてはどうか、と国内外の教育の専門家にも意見を聞いたのですが、「算盤は難しい」と言われました。現在も小学校の3年生と4年生の算数で算盤の授業がありますが、算盤は電卓とは違ってある程度練習をしないと使えません。でもそのための十分な授業時間が取れないというのです。しかし一方で、「百玉なら活用できるのではないか」というアドバイスをいただきました。

石倉 百玉って、何ですか。
藤本 1列10個の珠が10列に並んでいる算盤です。子どもたちに算数を教える時、お母さんたちはすぐに「2足す3は」とか「5足す8はいくつ」などと教えてしまいますが、子どもたちにはそもそも数という概念がないのです。そこで数とは何か、数はどう分別するか、をわかってもらって、数の概念を学んでもらう。そのための手段・道具が、この算盤です。
石倉 すべての数が、その1個の珠の積み重ねであるというのですね。
藤本 そうです。リンゴ3個を数字の3と表記しても、子どもたちには実際の「3個」と記号の「3」がつながりません。そこに算盤を介在させます。リンゴ3個もキャンディ3個も同じ3であることは、珠の積み重ねでわかります。逆に2個から1個を取れば残るのは1個だというのも、珠の数でわかります。
石倉 1とか3とか8とかの表記は大人が決めたものであり、歴史や国によっては1を「8」と表記していたかもしれません。しかし、ルールとして決めたので、1個は「1」と表記されるのだと百玉算盤の珠の数を通じて理解してもらうのですね。
藤本 あるときにダウン症のお子さんが来られました。10までの概念を学ぶのも大変な状態でしたし、目が悪いので珠がくっついて見えるようでした。そこで大きな珠にするなど視覚効果を高めた10玉算盤をつくり、勉強を始めたら2、3とわかってきて、「9に1を足したら10」も理解できるようになりました。うれしかったですね。そんなこともあり、「数を教える過程で見えてくる課題に即した製品開発」を進めることが重要なのだと気づきました。