新興国の基礎学力向上へ
「SOROBAN」の活躍

石倉 先ほど海外の数学者が算盤を高く評価しているというお話がありましたが、藤本さんは、算盤文化の海外普及にも熱心に取り組まれていると聞いています。

藤本 概算力を育てられるというので注目され、欧米をはじめとしてアジアにも広がり、現在は50カ国ぐらいに輸出しています。英語で算盤は「abacus」ですが、現在は「soroban」で通用します。戦後の日本は、読み・書き・計算の地力があったから発展できました。同じように新興国では算盤を通じてベーシックな能力を育て、学力が上がれば国力を強化できると考えているようです。

石倉 指導者は、十分いるのですか、どう手当てするのですか。

藤本 そこが残念なのですが、算盤を教えているのは日本人より中国の人たちが主なのです。また、新興国では算盤教室のビジネスを考える人もいて、先年もトルコの方がここ(本社)で学び、帰国後に半年で500人の先生を育成し、生徒が2万5000人にもなったと報せてくれました。
 いずれにしても、算盤によって一般の人の数字リテラシーを高めた日本としては、もっと真剣に算盤の国際教育を考える必要があるように思います。

石倉 そのトルコの先生の情熱はすごいですね。ところで、資料によればチュニジアでも普及が進んでいるようですね。

藤本 学校の先生をしていた女性大臣が算盤に注目して、外務省の紹介でご縁ができました。私が現地に行って教え、その学校はいまも算盤を教えています。

石倉 海外で算盤教育を定着させようとすると、日本とは状況が違う点もあると思いますが、難しいのはどんなことでしょうか。

藤本 言語を背景にした数の読み方の違いですね。日本では、上位の桁から順番に桁の単位をつけて読みます。11は、「じゅう」と「いち」で、言葉としても算盤の配列と呼応しています。しかし1の位を読んでから10の位を読む言語が少なくありません。たとえばアラビア語では、1は単純に「スィフィル」ですが、11になると下一桁の読み方が「アハダ」に変わり、そして10の位を意味する「アシャラ」をつけます。つまり11は、「アハダ アシャラ」になります。

石倉 算盤で使われる「上位から」というスムーズな読み上げができないのですね。

藤本 日本でも明治以降洋算が入ってきてから筆算は下の位からやりますね。上位の桁から計算する算盤とは逆です。これも言語的なものが背景にあるようです。算盤には概算力を育てる力があるとお話ししましたが、それは上位の桁から計算していくからこそ生まれる能力なのです。

石倉 言語と関係するとなると、数の読み方が日本と違う国では、算盤のソフトな側面を知らせるのはかなり難しいのではないでしょうか。藤本さんは「英語で算盤」という研究もなさっていると聞いていますが。

藤本 数にも英語にも強い子どもを育てたいと思ったのです。1から10までの英数字だけを見ても、英語の基本的な発音である「f」「th」「n」「v」「t」などの音を含んでいるので、英語の初期学習、特に聴き取りの基礎能力を高める効果があります。それに英語は、elevenやtwelveなどの特別な読み方をする数字もありますが、基本的には「1234」なら「one thousand two hundred thirty four」といった具合に上からそのまま読むので、読み上げ算がやりやすいのです。そこで「英語で算盤」という形で、いわゆる「イマージョン(どっぷりと浸かる)教育」の一環として取り組んでいます。

石倉 日本古来の道具と英語が結びつくことで、コミュニケーションと数のセンス両方を磨こうということですね。実際は、どのように行われるのですか。

藤本 授業では、「Starting with four hundred seven dollars……(願いましては、407ドルなり……)」といった調子です(笑)。でも本当は、算盤の基礎的な用語である「Negaimashitewa」とか「Gomeisan」などは、柔道の「Yuko」や「Ippon」のように共通語にしたいですね。たとえば「願いましては」という算盤計算を始める前の掛け声は、大福帳を読み上げる人が計算をしてくれる人に対して「よろしくお願いします」という敬意を示すものですし、「御名算」「御明算」は、正しく計算してくれたことへの感謝の気持ちが込められています。