製造から見るサービス産業の致命的な課題
レビットは論文の冒頭で、経済全体に占めるサービス部門の規模は拡大しているが質は低下していると紹介し、サービス提供側にある「サービス産業の課題は、他の産業の課題と根本的に違うと考える区別の仕方は大変な間違いである」と批判する。
そのうえで、「もともとサービス産業などというものは存在しない。他の産業に比べて、サービスの部分が大きいか小さいかの区別があるだけだ。どんな産業にも、サービスの要素がある」と断言する。まさにS-Dロジックと同じ論理を、レビットは真逆の軸で述べていることを、おわかりいただけるだろう。
そして、「サービスについての矛盾に満ちた考え方が、いかに不幸な結果をもたらすかを明らかにしたい。この矛盾を正さない限り、いまのところ手に負えないように思われる問題を解決することはできないだろう」と論文のテーマを示している。
ではサービスの本質とは何なのか。この前提が不明確では前に進めない。
レビットは、サービス産業であれ、メーカーや小売業における顧客サービス部門であれ、大昔の前産業時代に囚われていると皮肉り、具体的に旧来のサービスを、「『サービス』という言葉を耳にすると、個人的奉仕という昔からの色あせたイメージが浮かんでくる。サービスは、ある個人が他の個人のために奉仕する行為だとされており、慈愛や義侠心、自己犠牲、または服従や従属、抑圧といった、昔ながらの連想が浮かんでくる」と規定する。
「昔の主人は、労働を鼓舞するために神の意思か親方のムチを利用したのに、現代の産業社会ではトレーニング・プログラムやモラール向上のセミナーを利用する。長い年月を経たのに、サービス向上の方法も、その成果もほとんど進歩していない」
要するに、私たちは「サービス」という言葉を「人間の努力」として捉えているため、何らかの課題や問題があったならば、その原因をみな「人の心の姿勢」に帰してしまってきたのである。
一方、「Manufacturing」と表現されている製造の発想はどうか。
製造は他人への奉仕ではない。効率的な生産をめざし、製造方法の改善について考えるときは、まったく新しい仕事の方法を発見するか、もっと徹底的に、仕事そのものを実際に変えてしまう方法を見つけ出そうとする。つまり、従来にはない別の見方を学ぼうとするのが製造の改善である。
サービスと製造の基本的な発想の違いを見てくると、サービスについての従来の捉え方が、より深刻な問題をはらんでいることに気がつかされる。つまり、「サービスを人間の心の姿勢だけから考えると、人の使い方、特に組織されたグループの使い方について考えなくなり、新しい解決策と定義を求める努力が難しくなる。作業を再設計し、新しいツール、業務プロセス、組織を創造し、問題を生んだ条件を排除することも難しくしてしまう」のである。
この連載でも取り上げた「マーケティング近視眼(Marketing Myopia)」や「模本戦略の優位性(Innovative Imitation)」とも共通するように、レビットは、人が当たり前と信じ込んできたものの見方をまったく別の角度から見、その切り口から新たな概念を導き出す才に溢れている。
マーケティング近視眼では、鉄道会社の衰退の理由は鉄道事業から輸送事業に脱皮できなかったことであると喝破し、模倣戦略の優位性では、誰もが一段格下に見ていた模倣にこそ持続的な成長の原動力があると指摘した。
本稿でもまたレビットは、サービスおよびサービス産業が当たり前だと信じて疑わない概念に対して、製造という別のスポットライトを当てることによって、その罪深いまでの問題性を明らかにしてしまうのである。