日本が最も強い分野と最も危うい分野

 あらためて「持続可能な開発目標」仮訳は外務省HPよりを読み直せば、日本企業が積極的にビジネスチャンスととらえ、リードして貢献できる分野が多いことがわかる。

 例えば、「目標11 包摂的で安全かつ強靱で持続可能な都市及び人間居住を実現する」では、「2020年までに、包含、資源効率、気候変動の緩和と適応、災害に対する強靭さをめざす総合的政策及び計画を導入・実施した都市及び人間居住地の件数を大幅に増加させ」という目標が示されている。

 これと連動する形で、「目標9 強靱なインフラ構築、包摂的かつ持続可能な産業化の促進及びイノベーションの推進を図る」では、「すべての人々に安価で公平なアクセスに重点を置いた経済発展と人間の福祉を支援するために、地域・越境インフラを含む質の高い、信頼でき、持続可能かつ強靭なインフラを開発する」とされている。

 日本ほど自然災害に強い国はないだろう。防災分野では日本は世界でも飛び抜けてナンバーワンだ。これをビジネスチャンスと見ない手はない。例えば、国内の戦略特区でもある成田、関西、那覇の3つの空港とその周りは、東アジアにおいて最も強固な防災ハブとなりうるし、防災ビジネスの中心にもなりうる。こうした視点を国家政策の中に織り込んでいくことが経済にとっても強みとなる。

 また、都市化に伴ういろいろな問題への対処、例えば渋滞の解消、ゴミの処理、上下水道の整備、ライフラインの統合など、「都市の混沌解決」という意味では日本の右に出る国はない。アジアの都市を見てほしい。マニラに依然として存在するゴミ山、ダッカの渋滞、中国の大気汚染など、日本が40年くらい前に悩んでいた問題ばかりだ。ここに日本のビジネスの勝機がある。

 一方で、「目標14 持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する」では、過剰な漁獲や、過剰な漁獲につながる補助金の禁止がうたわれている。先進国では日本だけが産業としての安定性が失われる可能性があり、下手を打つと全世界で「一人負け」、そして「魚がいない海」だけが残ってしまう可能性がある。すでにかなり危ない。早急な対応が必要だ。

 いずれにしても日本企業の企業行動をSDGsが示す目標に一挙に近づけることはできないことではないと感じている。例えば、2020年の東京五輪への取り組みは、これまでできなかった斬新な制度の導入の機会となりうる。各種の調達コードの中に人権などの項目を組み込み、QRコードを読み取れば生産地情報も含めたトレース情報が得られるといった仕組みづくりだ。そして、これを世界の業界標準つまりルールにすることに大きな機会がある。

 SDGsの各目標のKPI(数値計画と目標管理)づくりは、2016年春頃から本格化する見込みである。この作業に、日本企業はもっと積極的に人と金を投じようではないか。ルールづくりへの参加とはプロセスそのものに口と知恵を出すことであり、それはとりもなおさず相手を自分の土俵にいかに乗せるかのビジネス競争に他ならない。

ルールづくりは未来への投資である

 最後に、私の国連代表部勤務時代のエピソードを紹介しておきたい。国連総会決議の文言協議で、欧米の外交官は自らの主張を織り込もうと、カンマの位置に至るまで徹底的に夜中まで交渉する。それを見たとある私の後輩の外交官は、「どうしてこんなに細かなことに執着するのか。国連がやっていることはまったく意味がない。」と呆れていた。しかし、呆れるべきはその若い外交官に対してである。

 国連総会で一度193カ国が合意した文言は簡単にはひっくり返せない。国連総会決議は拘束力こそ持たないが、3~5年後には国際条約にそのまま引用される場合が多い。そして一度国際条約になればその締約国である主権国家を法的に拘束する。具体的には、その条約を批准した国はこれを実現する国内法を制定し実施することが義務となるわけで、つまり今日ニューヨークで夜中の12時までやった文言交渉は、わずか10年後には現場を縛るルールの土台なのである。

 こういうことが分からない人と国は、他人がつくったルールに縛られる運命である。ルールはつくる側に回らなきゃ ―― カジノも含めてすべて「ルールを決め経営する側」に回らなければならない。なぜなら賭け事のルールは胴元が決めるのだから。SDGsが努力目標であり拘束力がないとタカをくくっているととんでもないことになるということが感覚的にお分かりであろうか。

 この世で一番強いものはルールである。

 日本企業はいまこそこのことを理解し「つくる側」に回るべきであると思う。