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「分散型リーダーシップ」とは
人々はいまや、リーダーに多くを求めるようになった。いわく、経営者はきわめて複雑な問題を理解できる知的能力の持ち主でなければならない。あらゆる人たちをふるい立たせるようなビジョンを描く想像力を備えていなければならない。戦略を具体的な計画へと落とし込む実務上のノウハウも身につけていなければならない。しかも、失敗すれば職を失いかねない難題を引き受けさせるだけの対人スキルも必要であるという。
残念ながら、これらの基準すべてを満たした人物など、どこにもいないだろう。「完全なリーダー」「すべてを把握し解決する完全無欠の経営者」という神話からもう卒業しようではないか。リーダーたちはすべての人々に全力を尽くそうとするが、実は、彼ら彼女らをこのような努力から解放してやることで、その組織はずっとよくなることだろう。
今日の世界では、経営者の役割はもはや命令を発し、管理することではなく、企業組織のあらゆるレベルにおいて人々の行動の質を高めたり、調整したりすることなのだ。そして、リーダーがおのれの不完全さを自覚し、長所と短所を合わせ持った存在であることを認めた時、初めて自分に足りないスキルをだれかに補ってもらうことができる。
言うまでもなく、ここ数十年の間、組織はかつてほど硬直したものではなく、コラボレーションが前面に押し出されてきた。グローバリゼーションが進み、知識労働の重要性が高まったことによって、責任と自主性をより広く浸透させることが求められているからである。
しかも、多くの人たちがその行動を互いに調整できるようになった。大量の情報を数カ所に集中させ、さまざまなネットワークを社内外で利用することにより、大量の情報を数多くの場所にいっぺんに送信可能になったためである。
我々が直面している課題は多岐にわたり、複雑さは拡大する一方で、とても一筋縄にいかず、おのれの無力さを痛感させられる。いまやグローバル市場の文脈を無視して、意思決定することはできない。したがって、金融、社会、政治、技術、環境などを、いっきに、時にはドラスティックに変化させることもある。また、社会活動家、規制当局、従業員といったステークホルダーも、企業にさまざまな圧力をかけるようになった。
要するに、一人の人間が先頭に立って、すべてを切り盛りできるような状況ではないのである。にもかかわらず、「完全なリーダー」という神話、ひるがえせば「完全でなければ無能なリーダーと思われやしないだろうか」というおびえのために、多くの経営者が完全主義者と化し、みずからを疲弊させてしまうだけでなく、その過程で企業にもダメージを与えている。
一方、不完全なリーダーは、力を抜くべき時をわきまえている。たとえば、その地域に明るい人にそこの宣伝プランを任せるべき時、顧客ニーズを把握している開発チームの自主性を尊重すべき時を承知している。