私利私欲を超えて社会の利益を追求してこそ
偉大なリーダーたりえる

 権力がなければ、リーダーにはなれない。ただし、その使い方を知らなければ、偉大なリーダーにはなれない。問題は、これら2つの能力を合わせ持った人物は稀有であるという事実だ。実際、己の権力を広げることに長けた、計算高い野心家の気質や行動は、権力をテコに偉業を成し遂げる、大胆さと想像力に富んだ先覚者のそれとは相容れないことが多い。

 このような矛盾は政治の世界に限らず、産業界でも見られる。HBRにおいても、ダン・チャンパやカリフォルニア州立大学教授のロデリック M. クラマーといったビジネス・リーダーシップの研究者がしばしば、上昇志向の強いマネジャーがリーダーへと転身できず、頭打ちになってしまった、あるいは出世の階段から転げ落ちてしまった例を紹介している。

 彼ら彼女らは権力を巧みに行使する術を知らなかった。昇進という己の利益を超えたビジョンがないため、目指すところにたどり着いたはいいが、その先を考える段になって、ほとんど思考停止状態に陥ってしまう。

 一方、リーダーとして成功した人は権力を手に入れるだけでなく、それを偉業の達成に利用している。なかでも第36代アメリカ大統領、リンドン・ベインズ・ジョンソンほど、権力の獲得と活用の両面に優れたリーダーは稀である。

 ジョンソンは、追従によって恩恵に浴するという典型的な政治家として、そのキャリアを築いてきた。彼はまことに狡猾な男で、人心操作に長けており、同僚とライバルの弱みを探っては、そこにつけ込んだ。

 がむしゃらに権力を追い求めたが、ひとたびこれを手に入れると、人が変わったかのように驚くほど広い視野を持ったビジョナリーへと変貌した。公民権法を最初に成立させたのは、だれあろうジョンソンである。

 また、「貧困の撲滅(ウォー・オン・ポバティ)」政策を掲げ、社会的弱者への社会福祉の拡充に熱心に取り組んだ。

 しかしその一方、ベトナム戦争もあった。いまになって考えると、ジョンソンはベトナム戦争を貧困ならぬ、共産主義に対する一種の聖戦と考えていたのかもしれない。もしそうならば、それは度を越えた聖戦だった。そして、長年かけてあれほど巧妙に築き上げてきた政治力のすべてを失うはめとなったのだ[注1]

 歴史家のロバート A. キャロはこの27年間、リンドン・ジョンソンの生涯を主要な研究対象としてきた。キャロは権力とリーダーシップについての研究を専門としており、ジョンソンとニューヨークで隠然たる権力を奮ったロバート・モーゼス[注2]に関する評伝で、これまでに2度のピュリッツァー賞を筆頭に、アメリカ国内におけるほとんどあらゆる書籍に関する賞を受賞してきた。