
デロイト トーマツ グループは2021年6月、AI(人工知能)に関する実践的研究組織「Deloitte AI Institute」(DAII)を立ち上げた。信頼される高度なAIの活用を通じた人間中心の社会の実現をビジョンとするこの組織には、同グループにおいてAIやアナリティクスを活用したクライアントサービスに従事する約200人のプロフェッショナルが、部門横断で参画する。
DAIIは米国、英国、中国などにも設立されており、DAIIに所属する海外約6000人のAI専門家や国内の研究者、AIスタートアップなどと連携しながら、研究活動のスピードとクオリティの向上を目指している。
日本でも本格的なスタートを切ったDAIIの所長である森正弥氏が、AI業界をリードするトップ人材と語り合うシリーズ対談を「Deloitte AI Ignition」と題してお届けする。第1回は、「次世代の働き方を変えたい」というパーパスを持つシナモンAI 代表取締役社長CEOの平野未来氏を迎え、人とAIの関係、そして未来の働き方について意見を交えた。
AIで次世代の「働き方」を変えたい
森 平野さんは3度の起業を経験しておられるシリアルアントレプレナーですが、これまでの経緯を簡単にご紹介いただけますか。
平野 順番は前後しますが、3度目の起業となるシナモンAIが飛躍することができたのは、実はデロイト トーマツ グループとのご縁があります。2017年4月にデロイト トーマツ ベンチャーサポートと野村証券が主催する「Morning Pitch」(モーニングピッチ)でプレゼンさせていただいたのが、私にとって大きなチャンスとなりました。
というのも、シナモンAIの前身となる「シナモン」を2012年にシンガポールで立ち上げて、アプリ開発事業を始めたのですが、それがうまくいかずに日本に帰ってきて、何とか新しい事業を軌道に乗せようと模索している時期でした。
シンガポールから帰国して、とりあえずシステムの受託開発をやることに決め、営業に走り回ったのですが、ほとんど相手にしてもらえませんでした。でもある時、営業資料に「AI(人工知能)も開発できます」と付け加えたところ、お客様の反応が変わって、AIコンサルティングの仕事が入るようになったのです。
そうした中でモーニングピッチでのプレゼン機会をいただいたのですが、登壇予定だった人が急きょ来られなくなったので、「代わりに出られませんか」というお誘いだったのです。それが、開催の3日前。しかも、「受託ビジネスやコンサルティングはピッチの対象ではないので、プロダクトをプレゼンしてください」という条件付きでした。
そこで、それまで私たちが受託案件で開発してきた技術を組み合わせて、突貫工事でプロダクト化して、ピッチに臨みました。それが大きな反響をいただいて、ピッチ終了後は150人ぐらいの方と名刺交換するのに2時間もかかりました。
森 そのプロダクトの何が、大きな反響を呼んだのでしょうか。
平野 当日ピッチをさせていただいたのは、さまざまなドキュメントから必要な情報を読み取って、AIで構造化するプロダクトです。どんな会社でも、大量の書類を見ながら、データを入力する仕事がありますよね。企業内にあるデータの8割はこうした非構造化データといわれますが、それをAIで構造化データにできる、単純なデータ入力作業から人を解放できますというプレゼンが、具体的な成果をイメージしやすかったのだと思います。
森 最初に起業されたのは2006年、まだ学生だった時ですよね。その頃は、日本にはベンチャーキャピタルやエンジェル投資家は少なく、シリコンバレーのように起業家を育てるエコシステムはありませんでした。
平野 そうですね。学生の時はAIを使ったレコメンデーションエンジンの開発などで起業したのですが、当時は大企業がベンチャー企業とミーティングの機会を持つことすら、ほとんどありませんでした。
そういう状況を変えるきっかけの一つになったのが、モーニングピッチだったと思います。平日の朝にあれだけ多くの大企業の人たちを集められるというのは、大きなインパクトでした。
技術やビジネスプランよりも、
ストーリーへの関心が高まっている
森 最近、パーパス(存在意義)を明確に打ち出すスタートアップ企業が増えています。平野さんご自身、どのような思いで起業されたのでしょうか。
平野 これまで3回起業しましたが、それぞれ思いは違います。1回目の学生時代は、ちょうどグーグルが検索エンジンで世界中の情報にリーチする手法を変革した頃で、グーグルのように、テクノロジーで人々の生活のあり方を変えたいと思い、立ち上げたのが「ネイキッドテクノロジー」です。その試みは必ずしもうまくいきませんでしたが、スマートフォン時代に対応できる技術と人材がミクシィの目にとまり、2011年に売却しました。
起業からエグジットまでを一通り経験できたので、次は海外でチャレンジしてみたいと考えました。折しもスマホの波が押し寄せているタイミングで、SNSが急速に普及していました。コミュニケーションのあり方が、今後はテキストからビジュアルを中心としたものに移行すると考え、コミュニケーションアプリの開発を中核事業とした2社目のシナモンをシンガポールで起業したのが2012年のことです。
3回目のシナモンAIは2016年の設立で、先ほど申し上げた通り、受託開発からスタートしてプロダクトを手がけるようになったのですが、ちょうどその頃、私は一人目の子どもを妊娠していて、当時、大手企業で社員が過労死するという痛ましい事件があり、ショックを受けました。自分の子どもやその次の世代が大人になった時に、このような働き方を残してはダメだ。それを変えるのは自分たち大人の責任だと思い、「AIで人の働き方を変える」「わずらわしい業務から解放された人が、自分の幸せのために時間を使える世の中をつくる」というのが、私たちのパーパスとして明確になっていきました。
森 1社目の起業からいまのシナモンAIまで、平野さんご自身の価値観に強く根差した思いが根底にあって、人々の生活や世の中を変えたいという点で一つにつながっている印象を受けました。
SDGs(持続可能な開発目標)に対する世間の認知や共感が高まり、最近ではそこにコロナ禍も重なって、より多くの人たちが環境や社会、健康や安全にきちんと配慮したビジネスを追求しなきゃいけないと真剣に考え始めています。平野さんも、そういう世の中の価値観の変化を感じるところはありますか。
平野 私が1社目を起業した頃は、ちょうとソーシャルゲームが流行り出していて、私たちもソシャゲをやればある程度儲かることはわかっていたのですが、自分たちでやろうとは思いませんでした。
自分たちの価値観を提示して、社会をよりよいものにしていくために貢献できるビジネスだとは思えませんでしたし、何より自分たちが本当にやりたいという気持ちにはなれなかったからです。
私は海外でも何度かピッチイベントに参加させていただいたことがありますが、いろいろな人たちから聞かれたのは、「なぜこのビジネスをやりたいのか。あなたがそう思うようになった象徴的なストーリーは何か」ということでした。私たちが持っている技術やビジネスプランよりも、そういうナラティブへの関心が高かったのです。
日本でも最近は、なぜそのビジネスをするのかというストーリーに関心を持つベンチャー投資家が増えていると感じます。