DXの推進にはインセンティブの両立性が必要
森 シナモンAIは大企業のDXを支援することも多いと思いますが、DXがうまくいくパターンとうまくいかないパターンでは、どんな違いがありますか。
平野 DXを推進する時は、もちろん経営者やDX専任組織が、自社のありたい姿や未来像を描き、それをリードしていくのですが、ある部門が抵抗勢力となることがあります。多くの場合、抵抗する人たちは経営者が描いた未来像に反対しているわけではなくて、インセンティブ・コンパティビリティ(誘因両立性)に問題があるのだと思います。
中国の大手配車サービス「滴滴出行」(DiDi)のケースで説明するとわかりやすいのですが、かつて出張に行って中国でタクシーに乗ると、目的地まですごく遠回りされることがありました。乗客からすると、目的地に早くかつ安く行ってほしいのですが、運転手は長い距離を走ってたくさんお金をもらったほうが嬉しい。つまり、乗客と運転手のインセンティブが両立していなかったわけです。
そこでDiDiは、配車アプリで乗客が運転手を評価できるようにしました。そのデータが蓄積されていくと、乗客にとってよい運転手とそうでない運転手がわかるようになります。よい運転手には、長距離を乗る乗客をマッチングすることで、運転手もお客さんのためを思ったほうが、自分のためになるという仕組みをつくったのです。これがインセンティブが両立している状態で、DXを進めるうえでも抵抗勢力となっている人たちのインセンティブは何かを考え、DXを推進することでインセンティブが両立できる構造をつくることが必要だと思います。
森 たしかに組織内でインセンティブ・コンパティビリティが成り立つ構造をつくるのは重要ですね。

デロイト トーマツ コンサルティング
執行役員 Deloitte AI Institute 所長
外資系コンサルティング会社、グローバルインターネット企業を経て現職。eコマースや金融における先端技術を活用した新規事業創出、大規模組織マネジメントに従事。世界各国のR&Dを指揮していた経験からDX(デジタル・トランスフォーメーション)立案・遂行、ビッグデータ、AI、IoT、5Gのビジネス活用に強みを持つ。東北大学特任教授。日本ディープラーニング協会顧問、企業情報化協会常任幹事。著書に『クラウド大全』(共著:日経BP社)、『ウェブ大変化 パワーシフトの始まり』(近代セールス社)など。
たとえば、経営トップがDXの旗を振っても、ミドルマネジメントが抵抗することがあります。ミドルマネジメントは担当している顧客が第一で、提供する製品やサービスの品質にコミットしていますから、新しいテクノロジーを入れることで、たとえ一時的であっても顧客に迷惑をかけたり、品質が落ちたりするようなことは絶対にしたくない。顧客体験価値を下げたくないのです。
本来は、顧客体験価値を高めるため、顧客に新しい製品・サービスの世界観を提示するためにAIなどの新しいテクノロジーを入れるのであって、その目的がきちんと共有できていないとミドルマネジメントのインセンティブにはなりません。
もう一つ、現場がDXに抵抗するケースもあります。これは、現場の人たちが、DXやAIを使った新しいビジネスプロセスやビジネスモデルにおいて、自分たちはどうなるのかというビジョンを明確に持てないことが原因になっていることが多い。自分たちはどういうスキルを身につければいいのか、会社はそれをきちんとサポートしてくれるのか、あるいは、いままでの経験を活かせるのか、AIとどう協業していくのか。そういった道筋がはっきりとわかっていれば、会社のインセンティブと現場の人たちのインセンティブが両立するはずです。
ヒューマン・イン・ザ・ループをつくるのが
未来の働き方
森 平野さんは、「次世代の働き方を変えたい」という強い思いがあるとおっしゃいましたが、人とAIの関係性や未来の働き方について、どのようなイメージをお持ちですか。
平野 未来の働き方は、human-in-the-loop(ヒューマン・イン・ザ・ループ)が当たり前になると考えています。AIが人の仕事をどんどん助けるようになるけれども、AIは精度100%ではないし、できないこともたくさんあります。ですから、お互いに助け合わないといけません。人がやった作業をAIが、あるいはAIがやった作業を人が相互に確認、修正していくことで、新しい学習データが整い、AIがさらに進化して、私たちはよりよいAIを使うことができる、そういったループになるのが未来の働き方です。
ヒューマン・イン・ザ・ループをつくれば、あらゆるところで生産性向上が進むことが期待されますが、どうしてもAIにできない領域というのがあります。それはアブダクション(仮説的推論)です。AIは、ある特定のエリアの中で最適解を見つけるとか、それを1日に数百万回やるというのは得意ですが、一つ上の抽象レイヤーに立って考えるということができません。それが顕著な分野というのが、クリエイティビティ、マネジメント、ホスピタリティなどです。
たとえば、クリエイティビティですが、検索エンジンで上位に表示されるようなSEO(検索エンジン最適化)対策記事を書くことは、すでに人よりもAIのほうが優れているかもしれません。しかし、ピカソがいない時代に、ピカソのような絵を描くことはAIにはできません。ピカソのようなデフォルメした世界観は、一段上の抽象レイヤーに立たないとつくり出せないからです。
「役に立つ」と「意味がある」の違いと言ってもいいかもしれません。役に立つということであれば、AIはいくらでもできます。でも、意味があることや、感情に訴えかけるようなことは人間にしかできないし、さらには、意味があることをすることで、人間は幸せを感じられます。