バブル経済崩壊後の成長なき「失われた30年」で自信を喪失してしまった我が国は、ステークホルダー資本主義やサステナビリティアジェンダをはじめとした足元の世界の大きなうねりに対して、受動的な姿勢が目立ってきた。

「平成の失敗」を乗り越え、大転換期を迎えている世界で主体性を取り戻し、新たな成長モデルを構築するには、経営の舵取りをどう行うべきか。変化の底流にある「サステナビリティ」をキーワードとしながら、一橋ビジネススクール客員教授の名和高司氏とモニター デロイトの藤井剛氏が語り合った。

日本の強みである編集力が鈍ってしまった

一橋大学大学院経営管理研究科客員教授
名和高司氏

三菱商事、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2010年に一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授、ボストンコンサルティンググループシニアアドバイザーに就任。2020年より現職。『学習優位の経営』(ダイヤモンド社、2010年)、『CSV経営戦略』(東洋経済新報社、2015年)、『経営改革大全』(日本経済新聞出版、2020年)、『パーパス経営』(東洋経済新報社、2021年)など著書多数。東京大学法学部卒。ハーバード・ビジネス・スクール修士(ベーカー・スカラー授与)。

藤井 米ハーバード大学のマイケル・ポーター教授らが、経済価値と社会的価値を同時に実現する「CSV」(共通価値の創造)を提唱したのが2011年のことで、それから10年余りが経過しました。この間、SDGs(持続可能な開発目標)、ESG(環境、社会、ガバナンス)をはじめとしたサステナビリティアジェンダが、資本市場を含む各ステークホルダーの最重要課題になっています。

 経済価値や株主価値一辺倒だった世界に大きな揺り戻しが起きていて、2019年頃からはステークホルダー資本主義への転換の必要性が強く叫ばれています。

 また、コロナショックの最中の2021年には米国で気候変動の取り組みに前向きなバイデン政権が発足、日本でも菅義偉前首相が2050年カーボンニュートラルを宣言しました。欧州では炭素税やEUタクソノミー(持続可能な経済活動を分類する制度)、サーキュラーエコノミー、生物多様性、非財務情報開示ルールなど、さまざまなサステナビリティアジェンダの議論が深まっています。

 2022年以降は、サステナビリティを底流とする各種の変化が加速していくことは間違いありませんが、一方で、目の前で起きている変動を“グローバルスタンダード”ととらえて、経営者が過度に振り回されてしまうと企業は混乱します。

名和 この10年に限った話ではありませんが、「グローバルスタンダード病」という舶来病がはしかのように流行して、何か新しい流れが来ると、それに向かって体を合わせようとするのが日本企業の習い性のようになっています。

 グローバルな動きから何らかの気づきを得るのはいいことですが、次から次へとやってくる波に揺られているだけでは、大きなトレンドを見失い、やがて行き詰まってしまいます。

 行きすぎた株主資本主義に対する見直しは、2008年のリーマンショックの頃からいわれていたわけで、その揺り戻しがいまも続いています。それに重なるようにCSVやSDGs、ESGの流れが来ており、広い意味でのサステナビリティというマクロトレンドからすると一貫しています。

モニター デロイト ジャパンリーダー パートナー
藤井剛氏

モニター デロイト ジャパンリーダー。幅広い業種において、経営/事業戦略、イノベーション戦略、デジタル戦略、組織改革などの戦略コンサルティングに従事。社会課題解決と競争戦略を融合した経営モデル(CSV)への企業変革に長年取り組み、モニターデロイトグローバルでのThoughtLeadershipも担う。『CSV時代のイノベーション戦略』(ファーストプレス、2014年)、 『SDGsが問いかける経営の未来』(日本経済新聞出版、2018年)など著書・寄稿多数。

藤井 元来、日本は異なるもの同士を組み合わせて新しいものを生み出したり、相反するものを調和させたりする編集力に長けていました。かつては和魂漢才としてそれを実践してきましたし、WEF(世界経済フォーラム)では深刻な分断が進む国際情勢の中で、日本は「Great Mediator」(重要な仲介役)としてグローバル連携を実現する役割が期待されるという議論がありました。

 その日本が、グローバルスタンダード病に陥ってしまったとすれば、非常に残念なことです。

名和 グローバルスタンダード病が蔓延してしまった要因の一つは、バブル崩壊を機に日本が自信を喪失してしまったことです。昭和の時代は、欧米的なもののよさをうまく組み込んだ日本独自の経営スタイルで勝っていたわけですが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言った途端にバブルが弾けて、その後の自信喪失の中で「いままでの日本的なやり方では通用しない」と、急に後ろ向きになりました。

 人本主義をはじめとした日本独自のよさが顧みられなくなったことはとても残念です。一方で、自前主義や完璧主義といった「風土病」は残ったままで、これが変革を阻んでいます。

 いまや和魂がなくて洋才というか米才だけに頼る、米国追随型になってしまいました。異なるものを組み合わせて新しいものを生み出す、日本の強みであった編集力は鈍ってしまったといえます。