企業はいま、かつてない大きな変化に直面している。そんな変化のなかにあっても変わらないもの、企業経営に当たって核となるものが“信頼(トラスト)”ではないだろうか。そうした視点に立って、さまざまな角度から信頼の在り方を考察する本シリーズ。第1回は、近江商人の「三方よし」から、現在の経営に通底する理念を考える。50年以上にわたって近江商人を研究してきた同志社大学名誉教授・近江商人郷土館館長の末永國紀氏と、書籍『パワー・オブ・トラスト』の共著者の一人であるデロイト トーマツ コンサルティング執行役員の三室彩亜氏が語り合った。
近江商人の「他国商い」「卸売行商」
「持ち下り商い」
――「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」の理念は広く知られていますが、それを生み出した近江商人が実際にどのような商いを行っていたのかは、あまり知られていないのではないでしょうか。
三室 近年、CSV(creating shared value)で経済価値と社会価値を両立させるという文脈で、ビジネスのなかでも「日本には近江商人の三方よしという理念があるように、もともとCSVの国である」という話題になることがあります。ただし、言葉は有名であるものの、実態まで掘り下げることは少ないので、まずそれに迫ってみたいと思います。
末永 その起源は鎌倉時代にまで遡る近江商人ですが、江戸時代から明治・大正にかけて、近江(滋賀県)出身の大商人が次々と現れました。昭和初年ころには、近江商人が国内外に開設した出店(でみせ)の数は1106に達していました。その事業スタイルには大きく3つの特徴があります。「他国商い」「卸売行商」「持ち下り商い」です。他国商いは、近江を本拠として、商売の場所は近江の外で全国各地に出ていくということ。また、近江商人は小売りではなく、主に卸売りに携わりました。商売を始めたばかりで小資本の時期は、天秤棒をかついで諸国を回りました。ここに商品を入れて運んでいるというイメージがあるかもしれませんが、天秤棒の籠には身の回りのものを入れるだけで、商品そのものを持ち運ぶわけではありません。

Kunitoshi Suenaga
同志社大学名誉教授
近江商人郷土館館長
1943年、福岡県生まれ。佐賀県出身。1973年、同志社大学大学院経済学研究科博士課程修了。京都産業大学経済学部教授などを経て、同志社大学経済学部教授。1988年より近江商人郷土館館長を兼ねる。『近代近江商人経営史論』『近江商人学入門』など著書多数。
――商品はどのようにして運ぶのでしょうか。
末永 船、飛脚、牛車、馬車などで送ります。送り先は馴染みになった神社仏閣、庄屋、旅籠などです。そこに地元の小売商を集めて、商談をするのです。こうした直接販売だけでなく、地元有力者を介した委託販売も行いました。商売が軌道に乗り資本が蓄積されると、各地に出店をつくるようになります。委託といっても任せっぱなしではありません。年に何回かは委託先を訪問して、売れ具合などをチェックします。品揃えや値付けは適切か、委託先の仕事ぶりはどうか。また、売れ残りの在庫の再評価なども行います。
――3つ目の特徴、持ち下り商いというのは、その商品の内容に関するものでしょうか。
末永 近江にはさまざまな特産がありました。麻布や蚊帳、畳表、薬などの地場産業があり、これらは全国で通用する商品だったのです。また、京都や大阪にも近いので、化粧品や日用品などの小間物、古着といった、地方で喜ばれるようなものを仕入れやすい。これらを全国各地に持ち下り、帰路は各地の産物を仕入れて戻ります。たとえば、山形名産の紅花は化粧品や薬の原料になります。こうして往路と復路、両方を活かしてノコギリのように往復で稼ぐ商売をしたわけです。