不確実性の高い時代、「信頼」が経営の軸になる
末永 『パワー・オブ・トラスト』でトラスト、信頼に注目した背景には、どのような問題意識があるのですか。
三室 環境変化のスピードは速く、なかなか先行きが見通せない時代です。企業が不確実性に向き合いつつ、マルチステークホルダーとともに創出した価値を循環させていくうえで、経営の軸になるのが信頼であると考えました。近年、「パーパス経営」というキーワードが注目されています。マルチステークホルダーと一緒に活動するためには、パーパスのような揺るがぬ方針が欠かせないからでしょう。そのパーパスをさらに掘り下げると、「自社が何によって信頼されたいか」「誰から信頼されたいか」というテーマに行き着きます。マルチステークホルダーとの協業も、信頼なしには成立しません。とりわけ、不確実性の高い時代には信頼が重要だと思います。
末永 近江商人にとっても、異郷の人たちから信頼を得ることは極めて大切です。274年前に埼玉県秩父に出店を開いた近江の矢尾喜兵衛家の話をしましょう。その四代目が従業員に語った話が残されています。「自分たちはよそから来て、商売をさせてもらっている」「地元の人たちとは立場が違うのだから、ことさらに品行方正でなければならない」といった内容です。秩父で商売を始めて100年以上も経っているのに、自分たちはよそ者だと言っているのです。地元に対して細かく気を配り、飢饉のときには米や銭を配りました。明治17(1884)年、自由民権運動の影響を受けて秩父事件が起こります。あちこちで打ちこわしなどもあったのですが、矢尾の店は無事でした。地元の人たちから信頼されていたからです。
三室 激動の時代には、周囲との信頼関係の真価が問われるといえるかもしれません。打ちこわしはないとしても、いまの企業は気候変動やパンデミック、地政学的要因など多種多様なリスクに向き合わざるをえません。近江商人が伝えてきた教えはいまも新しく、私たちが学ぶべきことは多いと感じます。本日はありがとうございました。

〈DTCからの提言 2022〉 パワー・オブ・トラスト――未来を拓く企業の条件
デロイト トーマツ コンサルティング 著
<内容紹介>
21世紀の企業経営は、格差拡大、地球環境問題、大規模災害、新型コロナウイルス感染症などの世界共通の危機が顕在化したことで大きく揺さぶられている。また、労働環境の劣悪さやサプライチェーンの脆弱性から「企業に対する信頼」が一夜にして崩れる例は後を絶たない。企業経営は「信頼に足る行動を伴うかどうか」で判断されるのだ。 「信頼できる企業」と認めてもらうには、「あまねくステークホルダーの期待に応えるための事業運営ひいては企業経営を行う」というきわめてシンプルな原則を組織に浸透させるしかない。そこで本書は、戦略、事業モデル、顧客接点、サプライチェーン、ファイナンス、IT・デジタル、組織・人材などの機能別に、「信頼される企業経営」を導くための方法を60点に及ぶチャートと共に解説する。