「世間」の範囲はどこまで拡張するか

三室 三方よしの「世間よし」についてお伺いしたいのですが、商売が大きくなると世間の範囲もだんだん広がっていくのではないでしょうか。

末永 財を成す近江商人は小商人の段階から、そのことを意識していました。世間は顔の見える範囲に留まりません。石田梅岩が商人道を説いた『都鄙問答(とひもんどう)』という本が江戸中期に出されたのですが、そこには、「商人の役目は世のため人のために尽くすこと」「その見返りとして口銭をもらう」という趣旨のことが書かれています。「世のため」というと抽象的ですが、それだけ対象は広がります。

三室 世間というと、対象の顔が見えなくてぼんやりしたイメージになってしまうかもしれませんが、近江商人はそれを具体的に想像して、尽くすといった考えを大事にしていたのですね。

末永 世間への貢献、世間からの見られ方の両面で、近江商人は倹約も非常に大切にしていて、多くの家訓がその重要性を強調しています。ある商人は「たくさんある水も、無駄には使わない」という言葉を残しています。倹約の徹底を言っているのかもしれませんが、世間を人間関係に限定するのではなく、限られた資源と、それを分け合う人々までのもっと広い空間を意識していたという見方もできるでしょう。

三室 今年(2022年)上梓した『パワー・オブ・トラスト』では、マルチステークホルダーのなかに「地球」を含めて考察しました。ある意味では、近江商人の言う世間の拡張です。世間よしには、現在のサステナビリティや地球環境への問題意識に通底する感覚がありそうです。

――三方よしの実践を怠り、商売が傾いたケースもあったのでしょうか。

末永 私たちは成功例だけに注目しがちですが、むしろ消えていった商人のほうが多いと思います。原因は強欲、贅沢、酒色に溺れる、同族の不和などさまざまです。おそらく、共通点は自分の欲望のコントロールができなかったこと。ただ、衰退を回避する方法もありました。二代目、三代目が放蕩三昧だったりすると、親戚たちが集まって主人を隠居させるのです。これを「押し込め隠居」といいます。そして、養子に出していた二男などを呼び戻して後を継がせたりする。現代なら社長解任に相当する非常手段ですが、家訓などに押し込め隠居の発動規定を定めている事例は少なくありません。

三室 マルチステークホルダーへの責任を果たせない場合には、経営者を取り替える。言わば、ガバナンスの仕組みですね。