「医療費の医学的コントロール」とは

 注目すべきは、1990年代半ばからフランスにおいて医療制度改革の一つの柱とされている「医療費の医学的コントロール」という考え方です。最近ではもう織り込み済みの感もあり、それほど声高に言われることもなくなってきましたが、医療費を支出額のみに着目して制限するというのではなく、提供されているサービスが医学的に見て有効か、必要なものかという観点から、つまり医療の質を改善することを通じて医療費抑制政策を進めるというものです。

 過去の西沢さんの提言の中に、医療費を削減するか財源を増やすかの二択ではなく、医療の質と持続性の向上を目指すという議論を目にしまして、フランスのこうした考え方と共鳴するところがあると感じました。

 開業医については、日本よりも、患者・医師の関係や、医師の治療にかかる自由度が高い制度になっています。その表れとして、診療報酬の上乗せ請求が広く認められていること、第三者払いが浸透しておらず、患者が治療費を支払ってから保険請求を行うことが多い、といった状況があります。これは患者にとって使い勝手の良い仕組みとは言えませんが、現在も維持されているのは、保険制度の枠内で強いコントロールを受けることへの医師の強い反発があるためです。

 そのような中で、かかりつけ医の仕組みが、やはり医師を中心としたさまざまな抵抗の中で、90年代以降少しずつ発展してきた経緯があります。今は、かかりつけ医を通さないと一部負担金が増額される、という緩やかなコントロールが行われています。

 他方、医療サービスを受ける側として、かかりつけ医について思うところもあります。私はパリに少しだけ住んだ後、地方中核都市のボルドーに住んでいましたが、パリでは人口に対して医師の絶対数も足りておらず、また、先ほど申し上げた追加報酬の請求を行う医師が多いのが実情です。パリを含むイル=ド=フランス地域圏の医師不足は繰り返し報道される問題で、結果として医療へのアクセスが困難な市民もいると思います。

東京大学大学院法学政治学研究科教授 笠木映里氏

 ボルドーでは、大学病院が強い土地柄でもあり、医師の数が比較的多く、パリで経験したような困難はありませんでした。自宅からすぐ近くのかかりつけ医に、子どもと一緒に私もお世話になっていました。仕事をしながら子育てをしていると、子どものついでに自分のことも気軽に相談できるのは有り難く、コロナ禍でも日常的に相談できる環境でした。

 以上のような経験からしますと、多忙な現役・子育て世代にとっても、プライマリ・ケアへのアクセスが容易な環境というのはとても意味のあることだと感じます。ただ、パリの例に見られるように、かかりつけ医の制度をつくっても、当たり前ですがこの役割を十分に担える医師が存在しなければ機能しません。どのような医療供給制度を前提とするかによって、患者が現実に享受できるものは変わってくるだろうと感じます。

変化しない日本の医療に
当事者の声を反映させる

川崎:私は西沢とは異なる部署で西沢などが研究によって得た成果をどうやったら社会に実装できるのか、という支援をしています。

 私が今回のテーマで活動するに至った原点があります。私は10年ほど中国にいた後、3年前に帰国しました。そのとき目にしたものは、10年前の日本と全く変わらない姿でした。健康保険証はまだカードのままであり、引っ越しすれば諸手続きのために新旧住所の役所に出向く必要がありました。また、さまざまな支払いも現金払いが中心でした。中国では多くの手続きはデジタル化され、とっくにそんな状況は過去のものになっていましたから、日本の停滞ぶりはショックでした。