なぜ、新型コロナワクチンを迅速に開発できたのか

西上 mRNAに創薬技術としての先進性があり、モデルナにその研究実績があったとしても、なぜあれだけ速く新型コロナワクチンを開発、実用化することができたのでしょうか。

鈴木 当社の最高科学責任者(Chief Scientific Officer)であるメリッサ・ムーアの言葉を借りれば、モデルナは他社と横並びでいっせいにスタートを切ったわけではなく、すでに100m走を走っていたからです。

 モデルナは創業以来、mRNAの研究に集中していましたし、新型コロナのパンデミックが始まる前から、NIH(米国立衛生研究所)と共同でmRNAワクチンの開発を始めていました。米国の感染症対策トップだった国立アレルギー・感染症研究所所長のアンソニー・ファウチ博士が当社の工場を見学したこともありました。

 一度も目にしたことがない料理について口頭で説明したり、レシピを見せたりしてもなかなかわかってもらえませんが、一緒に料理をした人や料理をつくっているところを見た人なら、すぐにわかってもらえます。

 パンデミックが始まってから、当社はすぐに政府の協力と資金提供を受けることができ、大規模な治験を始められました。

西上 日頃からステークホルダーとの協力関係をつくっておくことがいかに重要かを示すエピソードですね。やはり、平時の準備なくして、有事の対応はできないということをあらためて理解しました。

 モデルナという会社には、誰かと一緒に目標を成し遂げたいというカルチャーがあるのでしょうか。

鈴木 それはすごくあります。その一例が、世界中の研究者との新たな協力の枠組みとして提供している「mRNAアクセス」です。これはモデルナのmRNA創薬のプラットフォームを提携研究機関の研究者に開放するプログラムです。研究者が、抗原となるウイルスのタンパク質の遺伝情報を入力すれば、当社がプロトタイプワクチンをつくって数週間で届けます。

 通常であれば、標的となるタンパク質の遺伝情報がわかったとしても、それを薬剤にしてくれるCMO(医薬品受託製造企業)を探さなくてはなりませんが、それには時間とお金がかかります。

 まだ治療法が確立されていない疾患や未知の感染症に対応するには、モデルナの約700人の研究者だけでは足りません。世界中の研究者が力を合わせて、人類を救う未来を築かなくてはならないと信じて、mRNAアクセスをスタートさせました。

西上 世界の研究者が協力して革新的な新薬を開発するという夢を語ることはできても、実行に移すことは簡単ではありません。それを実践されていることに敬服します。

 ところで、ちょっと意地悪な質問かもしれませんが、モデルナが日本の会社だったとしても、同じように新型コロナワクチンを迅速に開発できたと思いますか。

鈴木 日本には優秀な研究者がたくさんいますし、mRNAの基礎研究に貢献した人も多くいることを私はよく知っています。

 モデルナにとって幸運だったのは、CEOのバンセルが毎年のように投資家から資金調達を行い、(2018年の)株式公開前に日本円にして数千億円の研究資金を集めていたことです。

 モデルナは新型コロナワクチンの実用化に成功するまで、赤字続きの会社でした。それでも、成長の可能性に賭ける投資家たちから資金を集められる仕組みが米国にはあります。日本にもそういう仕組みがあるといいと思います。

西上 サイエンティストがサイエンスに集中できないことが、日本のイノベーション創出を阻害していると指摘されます。研究助成金の申請や治験の手続き、そのほかの事務的作業や資金調達などに忙殺されて、本来の研究に十分な時間を割けないとしたら日本にとって大きな損失です。

可能なものはすべてデジタル化する

西上 研究者を煩雑な事務的作業から解放するための大きなカギが、デジタルです。モデルナでは、デジタルをどう活用していますか。

鈴木 先ほど述べた「12のマインドセット」の一つに、「私たちは、デジタルの技術をあらゆる面で活用します。」という言葉があります。多くの製薬企業では、研究、治験、製造、商業など部門ごとにデータベースが別々になっていると思いますが、モデルナはそれらを一つにつないだうえでAI(人工知能)を組み合わせて、“デジタルの複利効果”を狙っています。

 いま取り組んでいるのが、ワンクリックIND(米食品医薬品局への治験届)です。通常であれば、社内の各部門が役割分担して必要なデータを揃え、申請項目を一つひとつ埋めていかなくてはなりませんが、ワンクリックで届け出ができるようにしようというものです。その先は、ワンクリックBLA(生物学的製剤の承認申請書)を目指したいと思っています。