未来のヘルスケアは、トップダウンからボトムアップに変わる

大川 新たなイノベーションによって、ライフサイエンスやヘルスケアが10年先、20年先にどのように変わっていくのか。その点について木村先生の展望を伺えますか。

木村 文部科学省/科学技術振興機構(JST)が2013年度から始めた「革新的イノベーション創出プログラム」(COI STREAM)という研究支援プログラムがあります。10年先を見据えた産学連携のイノベーションプラットフォームの整備を最長9年間にわたって支援するものです。そのプログラムで採択されたうちの一つで、ナノテクノロジーを活用して、新しい医療ソリューションを開発するプロジェクト(「スマートライフケア社会への変革を先導するものづくりオープンイノベーション拠点」)のリーダーを、私は2022年3月まで務めていました。

 このプロジェクトは「体内病院」というコンセプトで、ウイルスサイズのナノマシンを開発し、診断用のデバイスを搭載して体内を巡回しながら病気の診断・予防を行ったり、患部や標的となるがん細胞に薬を直接送り込んで治療したりすることで、人々が自律的に健康になっていく社会の実現を目指すものです。

 SFの世界のような話ですが、川崎市産業振興財団ナノ医療イノベーションセンターを中核拠点に医療機関や大学、民間企業、自治体がメンバーとなり、2021年9月までに464の論文投稿、222の特許出願、9社のスタートアップ設立(設立予定1社を含む)という研究成果を上げました。2022年度にスタートした「共創の場形成支援プログラム」(COI-NEXT)にも後継プロジェクトが採択され、最終的には2045年の社会実装を目標にしています。

 体内病院というのは、病気の予防と治療を一体的に行うコンセプトで、病気の人たちと、病気ではなくより健康で長生きしたいと思っている人たちを区別せず、それぞれのウェルビーイングの実現に向けて総合的なソリューションを提供することを目指しています。

 加えて、社会的な環境によっても人のウェルビーイングは左右されますから、地域コミュニティでの交流や共助、さらにはエンタテインメントまで含めて健康長寿社会をデザインし、ソリューションミックスを考えていく必要があると思います。

 現在の医療・ヘルスケアシステムは国が主導し、トップダウンでデザインするモデルになっていますが、未来のヘルスケアはいろいろなソリューションがミックスされて、ボトムアップで一人ひとりの健康課題、ウェルビーイングの課題を解決していくものになっていくというのが、私の展望です。

 ですから、主役はあくまでも患者さんであり、国民一人ひとり。その人のライフスタイルに合わせて、ソリューションミックスをデザインしていくことになります。

人々の生活空間を社会実証の場としたオープンイノベーション

大川 従来の医療のように健康のマイナス面を減らすというよりは、ソリューションミックスによってプラス面を増やすことで一人ひとりのウェルビーイングを実現していくというのは、非常にわくわくするお話です。スマートナノマシンによる体内病院の実現というコンセプトも、日本のものづくりの強みを活かしながらイノベーションを加速させる、未来志向の発想だと思いました。

 そうした社会を実現するうえで、技術面以外での課題はありますか。

大川康宏Yasuhiro Okawa
デロイト トーマツ コンサルティング
ライフサイエンス&ヘルスケア
執行役員
ライフサイエンス&ヘルスケア業界に20年以上従事。製薬企業を中心に、医療機器企業、保険企業、製造業、テクノロジー企業を支援。イノベーションを通じた持続的成長をコンセプトとし、事業ビジョン、事業戦略、組織変革、R&D戦略、オペレーション変革、DX(デジタル・トランスフォーメーション)などのプロジェクトを手がける。

木村 ボトムアップ型でウェルビーイングの課題を解決していくためには、生活者一人ひとりが自分の求めるものは何かを明確にしなくてはなりません。極端なことを言えば、5年の余命を10年に延ばすことを望むのか、5年でいいから残りの人生を思う存分楽しみたいのかといったことです。それによって、提供すべきソリューションミックスが大きく変わってきます。

 生活者一人ひとりのニーズをすくい上げる仕組みとして、「リビングラボ」というものがあり、日本でも自治体主導で運営されるケースが増えてきました。人々の生活空間を社会実証の場としながら、新しい技術や製品・サービスを開発する手法のことです。製品・サービスを提供する側である行政や企業、大学などの研究機関と、ユーザーである市民が一緒になってアイデアを出し合ったり、製品・サービスを実際に使いながら改良していったりする、一種のオープンイノベーション活動です。

 東京大学未来ビジョン研究センターでは東京都東大和市と市民の健康づくりに関する連携協定を結び、ライフスタイル変容をテーマとしたリビングラボ「東大和ライフスタイルラボ」を運営しています。2020年度から腸内環境を改善するためのライフスタイルについて研究やワークショップなどを行っていますが、そういう取り組みやすいテーマから出発して、ウェルビーイング全体をカバーできる仕組みを模索しているところです。

大川 生活者の目線でソリューションを生み出していくスタイルは、イノベーションのドライバーになる大きな可能性を持つと感じます。我々コンサルティングファームもそうしたネットワークに積極的に参加し、社会課題解決の一翼を担わなくてはならないとあらためて思いました。

木村 先ほど縦割り組織に横串を通すことでイノベーションが生まれると申し上げましたが、むやみやたらに横串を刺しても成果が出るものではありません。縦割りのどことどこを結べば価値が出るのかという目利きや、どうやったら横串を通せるかという戦略が必要ですよね。それを的確に、かつ中立な立場から推進していくためのアドバイザー役として、コンサルティングファームは適任だと思います。

 また、生活者の立場で言えば、どのソリューションを組み合わせれば自分の生活課題、健康課題を解決できるのかを利益相反のない形で助言してくれるコンシェルジュ機能が必須です。そうした公共性の高い社会的機能をつくり上げていくうえでも、中立的な立場にあるコンサルティングファームが担うべき役割は大きいんじゃないでしょうか。

大川 肝に銘じます。最後に、未来のヘルスケアをつくっていく次の世代に向けて、メッセージをお願いします。

木村 日本は、100歳以上の高齢者の数が人口比では世界で断トツです。これだけの長寿社会になったのですから、高齢者が最期まで幸せな人生を全うできるようにすることは、高齢化先進国としての責任だと思います。

 高齢者が一番ほしいのは家でも車でも洋服でもなく、健康な生活です。そういう課題を解決するイノベーションを生むことは日本人にとっての福音であるだけでなく、高齢化が進む他国のお手本にもなります。こんなにやりがいのある仕事はないんじゃないでしょうか。