イノベーションは異なる学問の境界領域で生まれる
濱口 イノベーション創出という観点から日本の製薬産業の現状を見渡した時、どんな点が課題だと思われますか。
木村 製薬産業ではバイオ医薬品が主流になっていて、米国ボストンをはじめとする特定のバイオコミュニティが牽引している状況です。日本から見ていると、その背中がどんどん遠くなっている感じがします。それにどうキャッチアップするか、あるいは日本がバイオコミュニティの中に入ってどう貢献できるかが大きな課題だと思います。
従来は大手製薬会社が基礎研究から臨床試験、製造、販売まですべてを手がけていましたが、いまは水平分業が進み、創薬研究はスタートアップが担い、それをサポートするベンチャーキャピタルなどの投資家やアクセラレーターがいて、商業化の前段階で大手製薬会社が買い取って大きく育てるというエコシステムができ上がっています。日本でも今後、そうしたエコシステムを構築する必要があります。
濱口 バイオコミュニティや創薬のエコシステムを構築するうえで、乗り越えるべきハードルは何でしょうか。

デロイト トーマツ コンサルティング
ライフサイエンス&ヘルスケア
執行役員
国内・外資医薬品メーカーを中心に、全社戦略および営業・マーケティング領域のプロジェクトを数多く経験。新戦略に対する医師・患者の反応調査やMR(医薬情報担当者)の同行指導など、現場に深く入り込んだコンサルティングを手掛けている。
木村 やはりサイエンスがわかる経営人材が大きなボトルネックでしょうね。特にスタートアップのマネジメントを経験した人材が、日本には圧倒的に足りません。米国ではシリアルアントレプレナー(連続起業家)などもたくさんいて、人材の層が厚い。
(遺伝子治療薬の創薬スタートアップである)モダリスが米国ボストン近郊に研究拠点を置いているのも、人材や資金の獲得をスピーディに進めるうえでメリットが大きいからだと思います。
これからはスピードが重要なファクターになるので、シーズ(種)の開発は日本で行い、その先は米国で行うというモダリスのような動きが加速されるのではないでしょうか。
濱口 イノベーションを創出するための人材育成について、東京大学をはじめとする国内の大学ではどう取り組んでいらっしゃいますか。
木村 いま、各大学は新規の人材育成に力を入れています。先ほど医工薬連携と申し上げましたが、イノベーションは異なる学問の境界で生まれてきますので、たとえば生物学と情報科学を融合したバイオインフォマティクスといった新規境界領域の研究者、技術者の育成を図っています。
そういう人材をどれだけスピーディ、かつ臨機応変に育成できるかがカギになってくるのですが、大学で新しい学科やカリキュラムをつくろうとすると準備や許認可ですぐ2年、3年以上かかってしまいます。それを2カ月、3カ月以内でやれるようにするにはどうするかが、課題です。
経営人材の育成について東大では、社会人向けのエグゼクティブマネジメントプログラム(EMP)を開講しており、すでに600人を超える修了生を送り出してきました。さらにはアントレプレナーシップ教育も重要なテーマとして、教育プログラムの開発に力を入れるようになりました。
ただ、東大だけが頑張っても仕方がないので、日本の高等教育全体としてイノベーション人材を育成する体制を早急に築いていかなくてはなりません。
独創性の高いアイデアに対して
基礎研究への投資余力を残しておくことが重要
濱口 長期的な視点に立ちながら、体制づくりを急ぐ必要があるということですね。日本の基礎研究力の衰えを指摘する声がありますが、木村先生は先ほど「日本の基礎研究はまだまだ捨てたものではない」とおっしゃいました。イノベーションの種は、日本にも揃っていると理解していいのでしょうか。
木村 基礎研究については、まだ国際的に勝負できる領域・研究者が存在すると思います。一昔前に比べて研究予算が少なくなったとか、自由な研究がだんだん束縛されているといった危機感はありますが、それでも高いレベルの研究成果が脈々と生み出されています。
後は、基礎研究のシーズ、成果をどうイノベーションにつなげていくか、それを促進する人材やキャピタルマーケット(資本市場)の弱さをどう克服していくかだと思います。ここはボストンに大きく水をあけられていると言わざるをえません。
濱口 独自の基礎研究を含めて日本の強みを活かしたイノベーションを生み出していくことが、国際的な競争優位につながると思います。そういう共通認識の下に産官学の連携を戦略的に進めていくことができるのか。その点について、木村先生の課題意識があればお聞かせください。
木村 とてもいい質問ですね。産官学連携は以前に比べてどんどん進んでいるのですが、(政府が支給する)競争的研究資金には予算がつきやすいテーマがあって、選択と集中が進めば進むほど、オリジナリティの高い研究に日が当たらないという問題があります。
ノーベル生理学・医学賞を2016年に受賞した大隅良典先生(東京工業大学栄誉教授)が設立された大隅基礎科学創成財団では、独創的なテーマに取り組む研究者を支援するとともに、基礎科学研究者と企業の新しい関係構築を目指しています。実は私が大学院生の時に所属していた研究室で大隅先生が講師をしておられた縁でずっと交流があり、私は大隅先生の財団の理事を仰せつかっています。
現在支援しているのは生物学領域の研究ですが、財団主催の勉強会で発表してもらうと研究者同士が驚くくらいの面白い研究が次々と出てきます。イノベーションの種は、まだまだ尽きていません。
濱口 とがったアイデアほど真の差異化につながるはずなのに、そこに日が当たらないというのは企業でもよく耳にする話です。
増井 不確実性が高い世の中ほど、将来何がイノベーションとして花開くのか予測が難しいですから、独創性の高いテーマやアイデアに対して、投資余力を残しておくことが、国としても、企業としても重要といえそうですね。