コンパクトな「QOL健診」を、動機付けと行動変容の起点に

平山 弘前大学COIの取り組みは、健康とウェルビーイングへのテクノロジー活用の先進事例として、国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)の報告書でも取り上げられていると伺いました。

 世界的にも認められているこの素晴らしいプラットフォームをもっと日本全体に広げていくと同時に、世界に貢献できるものとして大きく育てることが、国際社会に対する責任でもあると思います。産業界や政府とのさらなる協働や連携が求められますね。

村下 最近、スタンフォード大学やハーバード大学の先生たちと意見交換する機会がありました。弘前大学COIのことを彼らはよく理解していて、「弘前大学のチャレンジは、データの利活用を含めて世界的に見ても先駆的だ」と言ってくれました。

 波江野さんがおっしゃるように、弘前大学COIの取り組みをオープンイノベーションの成功モデルとして育て上げ、国内外に水平展開する責任が我々にはあると思っています。弘前大学COIをご存じなかった企業、知っていたけど特に関心がなかったという企業の皆さんも、ぜひ一度参画してみてください。まず一歩を踏み出して、行動を起こすことがイノベーションのスタートですから。

平山 弘前大学は2022年、COI-NEXT(共創の場形成支援プログラム)の拠点に採択され、次のステージに進むと伺いました。今後の展望をお聞かせください。

村下 いままでご説明したCOIプロジェクトは、2022年3月でいったん終了しました。それで、COI-NEXTにあらためてプロジェクトを提案し、同年10月末に採択されました。

 いままではどちらかというと、地域社会の健康課題に軸足を置いてやってきたわけですが、これからはより広範に、世界全体に対する貢献を意識した取り組みにしようと考えています。

 COI-NEXTとしてのプロジェクト名称は、「健康を基軸とした経済発展モデルと全世代アプローチでつくるwell-being地域社会共創拠点」です。高齢化の進行によって、ヘルスケアは今後ますます重要な産業になります。一人ひとりの健康に対する意識が向上し、行動が変わっていくことでウェルビーイングが向上します。そうした健康づくりへの消費や投資が進めば、産業がさらに発展し、地域全体の活力が増すはずです。そういう経済発展モデルをつくっていきたいと思っています。

 もう一つのキーワードとして、全世代アプローチを掲げていますが、高齢者の健康問題を深く分析していくと、若い頃に問題の芽が生まれていることが結構あります。たとえば、青森県は短命県であると同時に、5〜17歳の肥満傾向児の割合も全国的に見て高い水準にあります。小児肥満は、将来の生活習慣病につながっていくことが多いため、若いうちに問題の芽を把握して、意識と行動の変容を促していくことが大事です。

 実は、我々は超多項目の岩木健診に加えて、「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)健診」を実施しています。2時間程度で終わるコンパクトな健診で、「メタボ」(メタボリックシンドローム)、「口腔保健」、「ロコモ」(ロコモティブシンドローム)、「うつ病・認知症」の4つのテーマで、検査項目を約40に絞っています。

 QOL健診の結果はその場で詳細にフィードバックし、本人が生活習慣における目標を立てます。動機付けと行動変容を同時に促す健診モデルとなっているのです。旧COIでプロトタイプは築き上げてきましたので、COI-NEXTではこれをより進化させます。

デジタルツインで未来の健康状態を予測

平山 具体的にはQOL健診をどのように進化させていきたいとお考えですか。

村下 いまDX(デジタル・トランスフォーメーション)が注目されていますけれども、まさに先進的なデジタル技術の活用が大きなポイントになると思います。現在、QOL健診をリモートで行える「セルフモニタリング式QOL健診」の開発に取り組んでいます。セルフモニタリングで日々の健康データを収集・蓄積し、健康未来予測AIがオンラインで一人ひとりに適したアドバイスを行うといった世界観を目指しています。

 さらには、健康状態をシミュレーションできる「ヘルスケアデジタルツイン」の構築も視野に入れています。岩木ビッグデータを基軸として各種の健康・医療データを連携させたリアルワールドデータに、セルフモニタリングで蓄積したデータを加えることで、たとえば平山さんのアバター(分身)を仮想空間上に出現させます。

 平山さんが何を食べ、どんな運動をしたかといった活動データがアバターに記録されていくと、リアルタイムに未来の健康状態をシミュレーションできるようになります。その結果をフィジカル空間にいる平山さん本人にフィードバックするとともに、AIがアドバイスを送る。それによって、平山さんがいつも健康的な行動を選択する。そういう世界を実現させたいと考えています。

 赤ちゃんの時から高齢になるまで、ヘルスケアデジタルツインの中で自分の健康にとって最適な選択をしつつ、人生を楽しめる。そうした「ヘルスジャーニー」を一人ひとりに提示できれば、ウェルビーイングな社会を実現できるはずです。

波江野 これまで健康のために「行動変容」が重要だとずっといわれてきましたが、言葉だけが一人歩きして、実効ある具体策が提示されることは、あまりありませんでした。それは、問題の所在が「何をすればいいかわからない」のHowの部分ではなく、根源的な問いとして、「ほかのことをさしおいて、なぜいまそれを優先しないといけないのか」という、Whyの部分にあるからだと思います。

 ヘルスケアデジタルツインで自分の近未来像を目の当たりにすることを通じて、Whyの部分により実感値を持てるようになれば、個々人に合った適切なHowと組み合わせることで、日々の行動を最適化できる可能性があると思います。

村下 先ほども触れましたが、健康には社会経済環境も関係していると考えられます。我々がプロジェクトのキーワードの一つに「経済発展モデル」を選んだ理由は、そこにもあります。

 魅力的な働く場所がなく、若者がどんどん流出してしまう地域では、人口が減少して経済的なダメージを受けるだけでなく、人々のウェルビーイングにも悪影響があります。

 そういう地域で、社会の健康に資する新しい製品やサービスが生まれてくれば、投資や消費が活発になって経済が勢い付くだけでなく、社会の健康度が上がって生産性が高まるかもしれないし、人の役に立てる魅力的な仕事が増えて若者が集まってくる可能性もあります。そうした好循環が生まれることで社会経済環境が改善され、地域の人たちがより健康になっていく。口で言うほど簡単でないことはよくわかっていますが、我々はそういう未来をつくっていかなくてはならないと考えています。

 健康はお金で買えないとか、命に関わることに経済原理を持ち込んではいけないという意見もありますが、経済的な循環を組み込んでいかないと、ウェルビーイングの観点でも地域社会の持続可能性を高めることはできないと思います。

 さまざまな利害関係から中立的な立場にある大学が中心となったオープンイノベーション・プラットフォームは、経済的な好循環を生む原動力としても適していると我々は考えており、そのモデルケースとして弘前大学COI-NEXTを発展させていくのが私の目標です。

波江野 村下先生はいつお目にかかっても新しいことにチャレンジされていて、とても刺激を受けます。本日はありがとうございました。