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 最近、私はさる高名な未来学者とシナリオ分析について話合った。彼は6とおりのシナリオを私に説明し終わったところで、私の感想を求めた。「ちょっと複雑ですが、よくできています」と私は答えた。さらに意見を求められたので、私は正直に、これでは「消化できない」と述べ、「これを聞いたマネジャーたちは、どうしてよいかわからないでしょう」といった。それに対して、そのコンサルタント氏いわく、「それは、私が心配することではないでしょう。私はただマネジャーにいろいろな可能性を並べてみせるだけで、それでどうすべきかを考えるのはマネジャーの責任です。私には、とても彼らに、こうしろとはいえません」。

 このささいな事例は、シナリオ・プラニングの基本的問題点を浮き彫りにしている。シナリオと意思決定者の接点が無視または軽視されている。シナリオが本当にマネジャーの琴線に触れた時、初めてシナリオはマネジャーにとって現実の意味を帯びてくるが、接点とは、そのような瞬間のことをいう。シナリオ作成の任にある人たちが、この接点について何の責任も感じないという事実が、従来の予測にあきたらなさを感じているマネジャーにとってシナリオは論理的魅力があるにもかかわらず、シナリオ・プラニングが、どうしても発展してこなかった大きな理由である。

 明白な不確定事項のいくつかのなりいきを単に数字で示すだけのシナリオは、それぞれの結論がどんなにもっともらしくても、けっしてマネジメントの熱意をかきたてない。ほとんどの管理者は、そのようないくつもの代替案を示されることを好まない。彼らは、たとえ過去の予測に頼って火傷を負ったことがあっても、事業環境そのものである不確実性に対処する場合、何らかの“はっきりした範囲”を求めているのである。

 自分の管理内にあるものなら、いろいろな行動案のなかから簡単に意思決定できる管理者でも、自分が制御できないうえに、よくわからない未来図の代替案をいくつか示されると、お手あげになることがよくある。その理由は1つには過去の事情がある。多くのマネジャーは1950年代と1960年代に管理技能を養成した人たちであるが、この時代は経済予測が高度に可能だっためずらしい時代だった。そのころ能力があるということは、正しい答を知っていることを意味した。だから、「状況は、こうなるかもしれないし、あるいは、ああなるかもしれない」などということは無能力またはプロではないと見なされた。

 実際、シナリオは厳粛な最終的意思決定をしなくてもよい中間管理者に人気があることが多い。シナリオが役に立たないと思うのは、企業の長期戦略に最終的責任をもつトップ・マネジメントにほかならない。彼らのほとんどは、すぐれた判断能力を武器に大企業の頂点に登りつめた人たちである。したがって、彼らは自分の判断に自信を持ち、それを誇りにしている。またその信念が彼らの大きなモチベーションの1つにもなっている。ふつうのシナリオ分析が彼らにつきつけるのは、彼らが判断能力を発揮しようのない生の不確実要素である。自分の最もすぐれた能力と考える部分が使えないものだから、彼らは「なんでこんなシナリオとかやらに、こだわるのだ。今までどおりにいこうじゃないか」ということがよくある。自分の判断能力が十分に発揮できる土俵を設定することに対するトップ・マネジメントの希望があまりに強いので、多くの管理者が、予測というのはしばしば事業環境の重大な転換点を見逃すということを知っていても、また今までに間違った予測でひどい目にあっていたとしても、依然として予測に頼り続けることになる。

 前号「シェルは不確実の事業環境にどう対応したか」で述べたように、シェルの意思決定シナリオが第1世代シナリオ分析と違うところは、ほとんど技術的な側面ではない。それはフィロソフィーの違いであり、トップ・マネジメントの認識や判断に関するものである[原注1]。意思決定シナリオの技術的側面は、そのフィロソフィーの結果生まれたものである。事業環境を入念に調べ、発見された結果を1組のシナリオに結晶させることは、企業の外側の世界を相手にすることだと、定義してもよいくらいである。例えば、需要、供給、価格、技術、競争の変化や景気変動などの世界である。しかし、これは半面の真理にすぎず、あとの半分があるから危険でもある。シナリオの原材料は、このような“大気圏外空間”というしろものから作られるので、もっとそれ以外のものが必要だということが理解されていない。シナリオは、“大気圏内”、すなわちマネジャーが多くの選択肢を検討しつくして最後に判断能力を働かせる彼のミクロコスモスのなかで、いきいきと動き始めなければならない。

 シナリオは2つの世界を取り扱う。事実の世界と認識の世界である。シナリオは事実を探し求めるが、ねらいは意思決定者の頭のなかにある認識である。その目的は、戦略的に意味のある情報を収集し、それを新たな認識に変換することである。この変換作業は、なかなか油断のならない仕事である――不発で終わることが結構多いからだ。うまくいった時は、マネジャーに心から「なるほど!」とつぶやかせ、以前の彼の頭のなかの世界では到達しえない戦略的洞察に彼を導くという、創造的な経験をすることができる。