
1984年、東京工業大学の助手だった村井純氏が、同大学と慶應義塾大学のコンピュータを通信ネットワークでつないだのが、日本におけるインターネットの始まりとされている。その後、村井氏が立ち上げた「WIDEプロジェクト」には数多くの研究者や国内外の組織が参画し、30年以上にわたってインターネット関連のさまざまな研究を続けてきた。
「日本のインターネットの父」といわれる村井氏は、コンピュータとネットワーク、そしてAI(人工知能)の来し方行く末をどう見ているのか。Deloitte AI Institute 所長の森正弥氏が聞いた。
長い寄り道の末、本格的な自律分散システムの入り口に立った
森 村井先生が東京工業大学と慶應義塾大学を結ぶ「JUNET」を構築されたのが約40年前、広域分散システムの研究コンソーシアム「WIDEプロジェクト」を立ち上げられたのが35年前です。この間、インターネットの発展と普及、研究者育成をリードしてこられたわけですが、インターネットのこれまでとこれからをどのように展望されますか。
村井 僕の研究テーマの柱は一貫して自律分散システムで、インターネットはその基盤として研究、開発してきました。その意味では長い寄り道の末、ようやく地球全体がネットワークでつながって、コンピュータが自律的に分散処理を行う環境が整ってきたと感じています。
僕が学生だった頃のコンピュータはものすごく高額で、処理速度もいまよりはるかに遅かった。だから、大学や研究機関はせいぜい1台のコンピュータしか持っていなくて、みんなが行列して計算してもらっていた。人間が機械にかしずいているみたいで、当時はコンピュータが大嫌いでした。
でも、学生の時にリック・ラシッドの魅力的な論文を読んで、コンピュータのイメージが大きく変わりました。彼はのちに「Mach」(マーク)というカーネル(OS<オペレーティングシステム>の基本機能を担うソフトウェア)を開発して有名になり、マイクロソフトの基礎研究所の初代所長になった人ですが、私が読んだのは彼がロチェスター大学にいた頃に書いた論文で、使いにくいメインフレーム(大型汎用コンピュータ)を何台か、使いやすいワークステーションにつなげて、一つのコンピュータのように使うというものでした。
メインフレームはメーカーが違えばOSも違うので、つなげるのは大変なんですが、ばらばらで多様なコンピュータをつなげて能力を最大限引き出すっていうのが、鉄腕アトムとウランとコバルトの3兄弟が力を合わせてプルートゥと戦うみたいで面白かった。それで、分散処理の研究に魅了されたんです。
森 その後、いろいろな標準技術が開発されて、多様なコンピュータがつながるようになりました。
村井 そうです。TCP/IPで遠くにあるコンピュータがつながるようになり、Ethernetで近くのコンピュータもつながるようになった。そして、1980年代にUNIXにTCP/IPが実装されて、インターネットの技術基盤が揃い、1990年代の爆発的な普及へとつながっていくわけです。
いまはこの部屋の中だけでも何台もPCがあり、一人ひとりがスマートフォンを持っていますよね。それが全部インターネットにつながっている。しかも、PCもスマホも、僕が若かった頃の大型コンピュータより圧倒的に処理速度は速い。これはすごいことです。
でも、ネットでつながったPCやスマホで分散処理が行われているかというと、まだ誰もやっていない。それに近い例として、(ファイル共有ソフトの)Winnyや仮想通貨(暗号資産)のマイニングがあったくらいです。だから、インターネット分散処理は、ようやく入り口に立ったところだと思います。