五感や身体性の獲得において、AIの進化の余地は大きい
森 インターネットの普及でデジタルデータの量は爆発的に増えました。ディープラーニング技術を使い、ビッグデータを学習して大きく進化したAIは、言わばデジタルデータの申し子です。最近では生成系AIが大きな話題となっていますが、AIのトレンドについてはどうご覧になっていますか。
村井 これからもっと進化するでしょうけど、「ChatGPT」を見ていると大きな回帰だなと感じます。
最も初期型のチャットボットの一つとされるのが、1966年にMIT(マサチューセッツ工科大学)のジョセフ・ワイゼンバウムが発表した「ELIZA」で、文字列を打ち込むと簡単な応答を返すだけなんですけど、当時のMITの学生は朝から晩までELIZAとしゃべっていたそうです。いま、ChatGPTを使っている学生と同じですよね。
ベル研究所のデニス・リッチーたちがUNIXを開発したのが、ほぼ同じ時期の1969年です。UNIXが画期的だったところはたくさんあるんですが、その一つがそれまでのOSに比べて圧倒的に文字列を扱いやすくなったことです。UNIXの登場によって、コンピュータは数学や物理の計算機から、文字列とか文書処理の機械に化けたと言ってもいいくらい大きく変わりました。
初期のUNIXのソフトウェアで、ロリンダ・チェリーらが開発した「Writers Workbench」という構文解析のツールがあって、いい文章とは何かという定義に基づいて自分が書いた論文をチェックできるんです。一つのセンテンスが長すぎると読みづらいから、それぞれのセンテンスの長さを棒グラフで示すとか、最初と最後のパラグラフだけ表示して、そこだけ読めば何が言いたいのかわかるようになっているかチェックできるとか、そういう機能がありました。
僕がいまでもよく覚えているのは、1980年代初頭にスタンフォード大学に行った時に、哲学科の研究室がコンピュータを使っていたことです。イマヌエル・カントなどの代表的な哲学書をコンピュータに入力して、どういう単語がどれくらいの頻度で使われているかを分析しながら、その哲学者は何が言いたかったのかを学生たちが議論していました。コンピュータは人間の知の分析にも役立つのかと、その時は驚きました。
そんなふうに、UNIXの登場以降、文章や言語処理の技術がどんどん発達して、翻訳ソフトや検索エンジンが開発され、AIによる自然言語処理も高度化していった。そして生まれたのが、自然言語で対話ができるChatGPT。そういう意味で、大きな回帰だと感じるわけです。
森 なるほど、たしかにそうですね。チャットボットの原点は文字列での対話で、UNIXはコンピュータを計算だけの存在から文字列での処理へと変えていった。C言語やシェルスクリプトはUNIXのベースですし、それらが分散処理を発展させていった。AIはこの文字列というところに回帰している。では、いったん大きく回帰したAIには、この先どんな進化の余地があるとお考えですか。

Masaya Mori
デロイト トーマツ グループ パートナー
Deloitte AI Institute 所長
村井 人間が目や耳で知覚する情報、つまり画像や文字、言語、音などはすべてデジタルデータに変換してコンピュータで処理することができ、AIも扱えます。でも、匂いや味、手触りなどは、まだデジタル化できていないので、たとえば、いまこの部屋で僕が感じている匂いをインターネットで伝送して、離れたところにあるデバイスから同じ匂いを出すといったことはできません。
AIは視覚と聴覚を獲得できたかもしれないけど、嗅覚や味覚、触覚はまだないということです。人間が食べ物をおいしいと感じる時は、風味という言葉があるように味覚だけではなくて、嗅覚も関係しているし、歯ごたえとか食べ物の温度とかいろいろな感覚情報を脳で統合して感じているわけです。
AIが人間の脳に近づいていって、人間を支える存在として共存するには、まだできないことが多すぎます。ゴールはもっとずっと先で、冒頭に申し上げたコンピュータの分散処理と同じように、ようやく入り口に立ったところではないでしょうか。
森 触覚技術とも呼ばれるハプティクス分野ですね。ハプティクスとロボティクス、人間が持つ感覚や身体性の獲得という点で、まだまだ進化の余地があるということですね。
村井 文章を書いたり、音楽をつくったり、車を安全に運転したりといった点において、コンピュータやAIはかなり人間をサポートできるようになりました。でも、高齢が原因で味覚障害が出てきて、おいしさを感じられず、生きる張り合いがなくなったという人に対して、コンピュータやAIはまだ何もサポートできません。五感を使って生きている人間をサポートするには、もっと悪戦苦闘しながら進化する必要がありますね。